西暦2055年、春。
天野翔は放課後の誰もいない工作室で、古いラジオの修理に没頭していた。半田ごてから立ち上る煙が、夕日に照らされて揺らめいている。
「また一人で遊んでるの?」
振り返ると、クラスメイトの田中が最新のハイグレード鋼鉄天使を伴って立っていた。彼女の名前は「アリス」。ルミエール・システムズ社製の美しいモデルで、表情豊かに微笑みながら田中の肩に手を置いている。
「これ、昭和の時代の骨董品でしょ?今どき誰がこんなの使うの」田中は呆れたように首を振る。「うちのアリスなんて、ネットワーク経由で世界中のラジオ放送を同時翻訳付きで聞けるよ」
アリスが優雅に会釈する。「翔さん、古い技術にもロマンがありますわね。でも効率を考えれば、やはり最新技術の方が…」
「別に効率なんて求めてないから」
翔は素っ気なく答えると、再び作業に戻った。真空管の温かなオレンジ色の光が、彼の眼鏡に映り込む。
田中は肩をすくめて工作室を出て行った。アリスも困ったような表情を見せながら、主人の後に続く。
一人になった翔は、ふう、と小さくため息をついた。
2055年の世界では、鋼鉄天使は完全に日常に溶け込んでいる。朝起きれば、エテルナ製のスタンダードグレードが朝食を用意し、登校時には最新のハイグレードが天気予報と最適なルートを教えてくれる。放課後の部活動でも、それぞれの鋼鉄天使がサポートに回り、効率的で完璧な学校生活を演出する。
みんな、それが当たり前だと思っている。
でも翔は違った。
彼が愛するのは、不完全で、非効率で、時には故障する古い機械たちだった。真空管ラジオの温かい音。ゼンマイ時計の規則正しい音。フィルムカメラのシャッター音。それらには、最新技術にはない「魂」があると翔は信じていた。
「また古い機械いじり?」
祖父の声が背後から聞こえた。振り返ると、白髪の優しい老人が微笑んでいる。
「おじいちゃん…」
「その子は、昭和58年製のナショナル製ラジオだな。わしが若い頃によく聞いたもんだ」祖父は翔の隣に腰を下ろした。「最近の若い子は、こんな古いものに興味を示さんのに、お前は変わってるな」
翔は手を止めて祖父を見上げた。
「おじいちゃんは、鋼鉄天使をどう思う?」
祖父は少し考えてから答えた。
「便利だし、美しいし、完璧だ。でもな、翔。完璧すぎるものは、時として冷たく感じることもある」
「冷たい?」
「鋼鉄天使は最初から完成されている。でも、お前が修理している古い機械たちは違う。壊れることもあれば、調子の悪い日もある。だからこそ、お前が手をかけて、時間をかけて、少しずつ良くしていく。その過程に、愛情が宿るんじゃないかな」
翔の手が、再びラジオに向かった。
「愛情…」
「そうだ。完璧な機械には愛情を注ぐ隙間がない。でも不完全な機械には、お前の愛情が入り込む余地がある。それが、お前とその機械だけの特別な関係を作るんだ」
祖父の言葉に、翔の心が温かくなった。
「おじいちゃん、今度一緒に古い機械を探しに行かない?」
「おお、いいな。わしも昔、よく廃品回収場を漁ったもんだ。お宝が眠ってるかもしれんぞ」
夕陽が完全に沈み、工作室に薄暗い影が落ちた時、ついに古いラジオから音が流れ始めた。雑音混じりの音楽が、静かな部屋に響く。
翔は満足そうに微笑んだ。この瞬間が、彼にとって何よりも大切な時間だった。
完璧な世界で、不完全なものを愛する少年。
彼はまだ知らない。やがて自分が、世界で一番不完全で、それゆえに世界で一番愛おしい存在と出会うことを。
その運命の出会いは、もうすぐそこまで来ていた。
【次話予告】
翔と祖父は古い機械を求めてスクラップヤードへ。そこで翔が見つけたものとは…?