チューエル淑女養成学院の新しい夏用制服。
そのきっかけは、一冊の雑誌だった。
ファッション誌『Ribbon Diary』の表紙を飾った立野雫。黒を基調としたメイド風の衣装、白いフリル、胸元の青いリボン、そして少女らしい華やかさと気品を併せ持つその姿は、和先生の目に留まり、やがて学院の新制服案として正式に検討されることになった。

もちろん、雑誌に掲載された衣装をそのまま制服にするわけではない。
学院の伝統色であるネイビーとゴールド。公式エンブレム。夏用素材としての軽やかさ。生徒たちが日常で着用するための実用性。そして、チューエル淑女養成学院らしい品格。
それらを取り入れて再設計されたものが、今回正式に公表されることになった「夏用制服案C 真夏開放版」だった。
だが、正式発表を目前に控えたある日、学院内で一つの問題が持ち上がる。
この新しい夏服を、誰が“学院の顔”として着るべきなのか――。
第1章 完成したC案と、少しだけ遠い公式感
学院長室の大きな机の上に、完成した広報資料が並べられていた。
「こちらが、正式公表用の資料となります」
学院長の言葉に、和先生と渚先生はそろって資料へ目を落とした。
そこに描かれていたのは、ネイビーと白を基調に、金色の刺繍や装飾をあしらった華やかな夏用制服だった。肩を覆うケープ、胸元のリボン、ハート型のウエストベルト、そしてエプロンに施された繊細な刺繍。
雑誌の衣装を原案としながらも、それは確かに、チューエル淑女養成学院の正式制服としてふさわしい姿へと磨き上げられていた。
「素晴らしいですね。とても上品で、それでいて夏らしい軽やかさもあります」
渚先生が感心したように微笑む。
「はい。職員会議でも、このC案を正式な夏用制服として採用することで一致しました」
学院長は満足そうに頷いた。
けれど、和先生は資料の端に記された名前を見て、わずかに表情を変えた。
――天瀬りおな。
チューエル淑女養成学院の卒業生で、現在は全国区で活躍する23歳のプロモデル。在学中から雑誌モデルとして活動し、今ではファッション誌や広告、ブランドカタログなどで広く知られる存在である。
「天瀬さんが、発表モデルを?」
「ええ。卒業生であり、知名度も申し分ありません。外部に向けて学院の新制服を公表するには、最も安心できる人選だと考えています」
学院長の判断は、決して間違ってはいなかった。
卒業生が母校の制服を着て紹介する。
それは美しく、品があり、広報としても非常に完成度が高い。
だが、和先生の胸には、どこか小さな引っかかりが残った。
この制服の始まりは、雫だった。
雫が雑誌の表紙を飾り、その姿を和先生が見つけた。
彼女自身も協力を承諾し、ユリシアや茉里絵たちも賛同を集めた。
そして理事会で正式に採用された。
「……確かに、広報としては申し分ありません」
和先生は静かに言った。
「ただ、この制服が生まれたきっかけを考えると、雫の存在を抜きにして公表してしまっていいのか、少し気になります」
渚先生が、そっと和先生の横顔を見た。
その眼差しは、教師としてのものだった。生徒の努力を、きちんと見届けようとする人の目。
学院長もまた、しばらく沈黙した。
美しい資料。
完成されたモデル。
申し分のない広報効果。
けれど、それだけでは足りないのかもしれない。
この制服は、ただ飾られるためのものではない。
これから学院で学ぶ生徒たちが、日々を過ごすためのものなのだから。
第2章 天瀬りおなという静かな衝撃
数日後、天瀬りおなが学院を訪れた。
黒髪のロングヘアに、琥珀色の瞳。落ち着いた微笑みと、隙のない立ち姿。派手に目立つわけではないのに、その場にいるだけで空気が整っていくような存在感があった。
「天瀬りおなです。本日は母校のお仕事に関われて、とても光栄です」
丁寧に一礼するその姿に、ユリシアは思わず目を丸くした。
「すごい……本物のモデルさんだ……」
隣にいた茉里絵も、感嘆の息を漏らす。
「立ち姿だけで、もう完成されていますわね」
その少し後ろで、雫は腕を組み、平静を装っていた。
「天瀬りおな……知らないわけないでしょ。何回表紙やってると思ってるのよ」
言葉は強気だったが、声の奥には隠しきれない緊張があった。
雫にとって、りおなは遠い存在だった。
同じ芸能の世界にいるとはいえ、知名度も実績も比べものにならない。雫は地方のご当地アイドルやモデル仕事を少しずつ重ねている段階。対してりおなは、全国誌、広告、CM、ブランドカタログで活躍する本物のプロだった。
そんなりおなは、雫に柔らかく微笑みかけた。
「立野さん、はじめまして。『Ribbon Diary』の表紙、拝見しました。とても素敵な写真でした」
「べ、別に……大した仕事じゃないですし」
「そう言うと思いました」
りおなは、少し楽しそうに笑った。
その微笑みは、雫の強がりを責めるものではなかった。むしろ、全部わかったうえで受け止めているような、穏やかな余裕があった。
その時、ユリシアがふと首を傾げる。
「あれ……? りおなさんって、少し渚先生に似てるかも」
「えっ」
渚先生の肩が、ぴくりと揺れた。
「そ、そうでしょうか? 私は天瀬さんのように洗練されているわけでは……」
口ではそう言いながらも、渚先生の内心は大騒ぎだった。
――和先生も、そう思われるのでしょうか。
――ということは、和先生はああいう黒髪で大人っぽい女性を……?
一人で勝手に想像を膨らませ、頬をほんのり染める渚先生。
それを見た茉里絵は、何かを察したように小さく微笑んだ。
一方、りおなは完成済みの広報資料に目を通していた。
自分がモデルを務めた写真は美しい。衣装の見せ方も、ポージングも、広報素材としては申し分ない。
だが、りおなは静かに言った。
「これは、とても綺麗です。でも……少しだけ、完成しすぎている気がします」
学院長が驚いたように目を上げる。
「完成しすぎている、ですか?」
「はい。私が着ると、“卒業生が母校の制服を紹介している写真”になります。でも、立野さんが着れば、“これからのチューエルを生きる生徒の姿”になると思います」
その場の空気が、静かに変わった。
雫は思わず、りおなを見つめた。
「……は? 私?」
りおなは穏やかに頷いた。
「この制服の顔にふさわしいのは、私ではなく、あなたかもしれません」
第3章 雫、逃げる
「無理に決まってるでしょ!」
雫の声が、空き教室に響いた。
「全国区の天瀬りおなと比べられるとか、公開処刑じゃない! なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ!」
「雫ちゃん、大丈夫だよ。雫ちゃんだって、すっごく綺麗だもん」
ユリシアは必死に励ましたが、雫は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「そういう問題じゃないの!」
茉里絵は静かに雫を見つめた。
「雫さん。この制服は、あなたの一歩から始まったものですわ。ならば、最後にもう一度、あなたが前に立つ意味はあると思います」
「意味とか言われても……」
雫は言葉を詰まらせた。
本当は、わかっていた。
嬉しくないわけではない。
むしろ、胸の奥はずっと熱い。
けれど、怖かった。
りおなと並べられたら、自分の未熟さが浮き彫りになる気がした。全国区のモデルと、地方のその他大勢のご当地アイドル。そんな残酷な差を、学院中に見せつけられるような気がした。
その日の放課後、りおなは雫を中庭へ誘った。
「立野さん。少し歩きませんか?」
二人は、夕方の光が差し込む回廊をゆっくり歩いた。
「あなたは、私と比べられることが怖いんですね」
「……別に」
「怖くないなら、逃げないと思います」
「っ……」
雫は悔しそうに唇を噛んだ。
りおなは責めなかった。ただ、静かに続けた。
「私は、あなたより有名かもしれません。でも、この制服を一番近くで生きているのは、私ではありません」
「……」
「私は卒業生です。チューエルを懐かしむことはできます。でも、今のチューエルの空気を、毎日吸っているわけではありません」
りおなの横顔に、ほんの少しだけ寂しさが滲んだ。
「在学中、私は仕事ばかりしていました。撮影、オーディション、地方ロケ……ありがたいことでした。でも、普通の放課後や、友達と何気なく笑い合う時間を、少し置いてきてしまった気もするんです」
雫は初めて、りおなを“遠い世界の完璧な人”ではなく、一人の卒業生として見た。
「立野さんには、今しかない表情があります。未完成だからこそ、届くものがあります」
りおなは立ち止まり、雫をまっすぐ見た。
「カメラは、完璧な人だけを好きになるわけではありません。自分の居場所を信じようとしている人を、ちゃんと映します」
雫は何も言えなかった。
「それに」
りおなは少しだけ、いたずらっぽく微笑んだ。
「あなた、悔しいんでしょう?」
「……っ」
「悔しいと思えるなら、大丈夫です。まだ上に行けます」
その言葉が、雫の胸に深く刺さった。
悔しい。
怖い。
でも、逃げたくない。
雫は拳をぎゅっと握った。
「……別に、あんたに言われたからやるわけじゃないです」
「はい」
「でも……ここで逃げたら、たぶん一生ムカつくから」
りおなは、満足そうに微笑んだ。
「それで十分です」
第4章 夏服の顔は、今ここにいる私
撮影当日。
学院の中庭には、正式発表用の撮影セットが組まれていた。
柔らかな日差しの中、雫は夏用制服C案に袖を通していた。
ネイビーの肩ケープ。白いブラウス。金色の刺繍が入ったエプロン。ハート型のウエストベルト。学院の簡略版エンブレム。
それはもう、雑誌の中だけの衣装ではなかった。
チューエル淑女養成学院の、正式な夏用制服だった。
しかし、カメラの前に立った雫の表情は硬かった。
「立野さん」
りおなが静かに声をかける。
「綺麗に見せようとしなくていいです」
「は?」
「あなたが、この学院で何を大切にしているか。それを思い出してください」
雫は目を閉じた。
『Ribbon Diary』の撮影。
和先生が雑誌を見つけてくれた日。
「君の頑張りを見ている」と言ってくれた声。
ユリシアと茉里絵が賛同を集めてくれたこと。
柚羽が、自分に憧れてくれたこと。
そして、自分がいつか、和先生に認められる存在になりたいと願っていること。
雫はゆっくり目を開けた。
その表情は、りおなのように完成された微笑みではなかった。
少し緊張していて、少し照れていて、それでも前を向こうとしている。
その時、和先生が静かに言った。
「雫らしくて、いいと思う」
雫の顔が、一瞬で赤くなった。
「べ、別に先生に褒められたくてやってるわけじゃないし!」
その瞬間、シャッター音が響いた。
撮影スタッフが思わず声を上げる。
「今の表情、すごくいいです!」
ユリシアがぱっと笑顔になる。
「雫ちゃん、かわいい!」
茉里絵も嬉しそうに頷いた。
「ええ。とても雫さんらしいですわ」
雫はますます赤くなった。
「う、うるさいわね! 撮影中なんだから静かにしてよ!」
けれど、その声にはもう、最初のような怯えはなかった。
少し離れた場所で、りおなはその姿を見守っていた。
「……そう。それでいいんです」
隣に立っていた渚先生が、ぽつりと言った。
「天瀬さんは、強い方ですね」
りおなは首を傾げる。
「そうでしょうか」
「ええ。前に出るだけでなく、誰かを前に出すこともできる方です」
りおなは少しだけ驚き、それから柔らかく微笑んだ。
「渚先生こそ、生徒たちを内側から支えている方だと感じました」
その言葉に、渚先生は静かに目を伏せた。
似ていると言われて、少しだけ心がざわついた。
けれど今ならわかる。
りおなは、学院の外から道を開く卒業生。
自分は、学院の内側で生徒を守る教師。
同じ黒髪でも、同じ大人の女性でも、立っている場所が違う。
そしてそのどちらも、きっとチューエルには必要なのだ。
数日後。
学院の公式サイトに、新しい夏用制服の発表ページが公開された。
メインビジュアルに写っていたのは、夏服を着た立野雫。
その下には、短い紹介文が添えられていた。
『Ribbon Diary』の一枚から始まった新しい風は、
チューエル淑女養成学院の正式な夏用制服として形になりました。
モデル:立野雫
監修・協力:天瀬りおな
りおなの写真が消えたわけではない。
卒業生モデルとしての彼女の写真は、デザイン資料や広報補助ページに掲載された。
けれど、正式な夏服の“顔”は、雫になった。
撮影後、回廊で雫とりおなが並んで歩いていた。
「立野さん」
「何ですか」
「次は、全国の現場で会いましょう」
雫は一瞬だけ黙った。
そして、少しだけそっぽを向きながら言った。
「……別に、追いつくつもりなんてないです」
「そうですか?」
「追い越すつもりなので」
りおなは目を丸くした。
それから、とても嬉しそうに笑った。
「楽しみにしています」
雫は顔を赤くして、足早に歩き出した。
その背中はまだ小さく、全国区のモデルには遠いのかもしれない。
けれど、確かに前を向いていた。
その日の夜、ユリシアは日記にこう書いた。
今日の雫ちゃんは、すごく綺麗だった。
ちょっと悔しいくらい、かっこよかった。
でも、りおなさんが言っていた。
今のチューエルを着ているのは、私たちなんだって。
だから私も、胸を張ってこの制服を着たい。
雫ちゃんに負けないくらい、ちゃんと前を向きたい。
そしていつか、おにいたん♡に言ってもらいたいな。
「ユリシア、とても似合っているよ」って。
その日を想像しただけで、胸がぽかぽかした。
チューエルの夏は、もうすぐ始まる。
新しい制服と、新しい風と一緒に。






