8月5日 火曜日 曇りのち晴れ
賑やかな一日が終わった。 自宅に戻り一人静かに窓の外を眺めていると、まだ耳の奥で花火の音が響いているような気がする。そして、それ以上に鮮明なのは、あの五人の浴衣姿と、弾けるような笑顔だ。
教師として、生徒たちの楽しそうな顔を見られるのは何よりの喜びだ。しかし、今日の私は、ただの引率教員ではいられなかった。ユリシアから告げられた「卒業までの勝負」という、あまりにも無邪気で、そしてあまりにも重い約束。その言葉の意味を、今日の私はずっと噛み締めていた。
湖畔の東屋。私の隣に立つ渚先生の、いつもとは違う柔らかな横顔に、不覚にも心臓が少し音を立てた。主担任としての彼女の堂々とした姿を見るたび、昔、保健室のベッドで弱々しく横たわっていた彼女の姿が嘘のようだ。今や私は彼女を支える副担任。いつの間にか、私の方が彼女のその強さに救われているのかもしれない。
雫が、寒さで少し身を縮めた時、咄嗟にマフラーを差し出したのは、ほとんど無意識だった。簿記の補講を始めた頃、あれほど反発していた彼女が、今ではクラスの誰よりも熱心に質問に来る。妹さんのために、と必死にペンを走らせる姿を知ってから、どうにも放っておけないのだ。強気な言葉の裏にある、あのどうしようもない優しさを、私は知っている。
茉里絵さんの詩的な感性には、いつも驚かされる。彼女の言葉は、ただ美しいだけでなく、物事の本質を的確に捉えている。あんなにも自分の体型を気にしていた彼女が、友人たちの支え、応援もあってグラビアに挑戦するほどの勇気を持つようになった。決められた道の上で、それでも自分らしさを見つけようともがく彼女の強さを、私は尊敬している。
柚羽さんは、本当に良く周りを見ている。彼女が簿記のテキストを熱心に読み込む姿は、かつて家業の帳簿を眺めていた幼い頃の自分を思い出させる。「家族を助けたい」という一心で、ひたむきに努力するあの子がこの学院で自分の居場所を見つけ、心から笑える日が来るのを、ただ願うばかりだ。
そして、ユリシア。 私の、婚約者。 「おにいたん♡」と無邪気に浴衣の襟を直させてくれる彼女の笑顔を見るたび、胸が温かくなると同時に、その約束の重みを改めて感じる。
昔、彼女がまだ6歳だった頃、二人で見た花火を思い出す。大きな音に怯えるあの子を肩車し、「大丈夫、ずっと側にいる」と誓った。あの日、私は彼女の保護者として、彼女の人生を守ると決めたのだ。 その誓いが、いつしか「婚約」という形に変わってしまった。これは本当に、彼女を守る最善の道なのだろうか。恋愛経験など皆無に等しいこの私が、彼女たちの真っ直ぐな想いに、どう応えるのが正しいのか…。
湖面に映る花火を見つめる彼女たちの瞳は、あまりにも純粋で、美しかった。 その輝きを曇らせることなく、卒業の日まで導いてやること。それが今の私にできる、唯一の誠意なのだろう。
…よし、明日から簿記検定の補講、少し時間を増やしてみるか。 悩んでばかりいても仕方ない。教師として、今できることを精一杯やろう。