2025年9月22日(月曜日)
第2章:レストランと、不器用な真心
待ち合わせ場所であるホテルの前。普段着慣れないジャケットの襟を何度も直しながら、和先生は落ち着きなく通りの方を眺めていた。街の喧騒も耳に入らないほど、彼の心臓は高鳴っている。
その時、ふと視線を感じて顔を上げると、そこに彼女が立っていた。
深紅のワンピースに身を包み、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながら、こちらを見つめている渚。
その、いつもとは違う、息を呑むほど美しい姿に、和先生は完全に言葉を失い、ただ立ち尽くす。慌てて一歩踏み出そうとして、危うく段差につまずきそうになった。
「な、渚先生…!その、なんだ…今日の服は、その…いつもと雰囲気が違って…ええと、その…赤が、とても…似合っている、と思う」
「…ふふっ。ありがとうございます、先生」
しどろもどろで、決してスマートではないけれど、その一生懸命な褒め言葉だけで、渚の心は喜びで満たされていく。
食事中の会話は、どこかぎこちなく、でも温かかった。夏休みの出来事、二学期の授業のこと。
緊張からか、和先生はいつもより饒舌で、ステーキの焼き加減について「ミディアムレアというのはだね…」と熱心に語り出す。その、少しだけ空回りしている一生懸命な姿を、渚は愛おしそうに微笑みながら相槌を打つ。そのやり取りが、まるで初々しい恋人たちのようで、彼女の胸をくすぐった。
しかし、その穏やかな空気は、デザートを選ぶ時間に、ほんの少しだけ揺らいだ。
「ああ、蜂蜜のかかったパンナコッタがあるな。ユリシアは、本当に何にでも蜂蜜をかけたがるんだ。特に、彼女が作る玉子焼きは…」
その、何気ない一言。
和先生に悪気がないのは分かっている。ユリシアが、彼にとって家族同然の、特別な存在であることも。 しかし、その言葉は、渚の心の最も柔らかな部分を、鋭く抉った。
(蜂蜜…)
それは、自分にはない、二人が積み重ねてきた「時間」と「日常」の象徴。私がどれだけ背伸びをしても、どれだけ特別な日を演出しても、あの二人の揺るぎない絆の前では、全てが無意味なのではないか。
一瞬、目の前が暗くなるような感覚。しかし、渚は、ここで負けるわけにはいかなかった。
第3章:歴史と、ぎこちない贈り物
「…先生」
渚は、意を決して、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
「先生は、ユリシアさんの蜂蜜入りの玉子焼きと、お砂糖を一切入れない玉子焼き、本当はどちらがお好きなんですか?」
「え…?」
予想外の質問に、和先生は目を丸くする。
「私、知っています。先生の本当の好物。昔、学生だった頃、先生が職員室でこっそり食べていた、しょっぱい玉子焼き。お醤油を少しだけ垂らして、本当に美味しそうに召し上がっていたのを、保健室の窓から、何度も…見ていましたから」
それは、ユリシアさえ知らない、10年以上前から、彼を見つめ続けてきた彼女だけが知る、ささやかな「秘密」。
和先生は、完全に意表を突かれた顔で、そして、どこか懐かしそうに、照れくさそうに、ぽりぽりと頭を掻いた。
「…まいったな。君には、敵わない」
その言葉だけで、十分だった。渚は、ユリシアの「日常」に、自分だけの「歴史」で打ち勝ったのだ。
満足感に浸る彼女に、和先生は「あ、あのな、渚」と、急に改まって声をかけた。そして、ポケットから小さな包みを取り出すと、少しだけ指を震わせながら、テーブルの上にそっと置いた。
「少し、早いけれど…。誕生日、おめでとう」
第4章:未来と、言葉にならない想い
包みの中に入っていたのは、繊細な銀細工が施された、アンティークのロケットペンダントだった。
「わぁ…素敵…」
「き、君に、新しい思い出を、これから沢山しまっていってほしくてね」
そう言って、彼はロケットを開いてみせた。片方は、空っぽ。そして、もう片方には…。
「…四つ葉のクローバー?」
小さな、押し花にされた四つ葉のクローバーが、大切に収められていた。
「春に、二人でバラ園に行っただろう。あの時に、偶然見つけたんだ。君は、いつも周りの人間のために頑張って、自分の幸運を後回しにしているような気がしてね。だから、その…君自身に、幸運が訪れるように、と…」
涙が、溢れそうになるのを、必死で堪える。
プレゼントに込められた、彼の不器用な優しさ。自分のことを、これほどまでに深く見て、理解してくれていたという事実。
それは、彼女が10年以上も夢見てきた、どんな高価な贈り物よりも、価値のある宝物だった。
「…先生」
自分の声が、少し震えているのが分かった。
「ユリシアさんとの…婚約の約束があるのに、どうして、私に…」
和先生は、少しだけ遠い目をした後、ゆっくりと、しかし言葉を選びながら答えた。
「ユリシアとの約束は…俺が、守り続けなければならない、過去との誓いだ。家族として、彼女が幸せになるまで見届ける。その気持ちに、嘘はない。だが…」
彼は、テーブルの上で所在なげに彷徨っていた自分の手を、意を決したように握りしめた。
「君は、違う。渚、君といると…俺は、教師でも、保護者でもなく、ただの男になれるような気がするんだ。それは、初めての感覚で…正直、どうすればいいのか、まだよく分からない。でも…」
彼は、真っ直ぐに渚の瞳を見つめた。その眼差しは、不器用で、ぎこちなくて、でも、どうしようもなく誠実だった。
「これからも、君といる時間を、もっと大切にしたい。そう、思っている」
それは、「好きだ」という言葉よりも、ずっと重くて、温かい告白だった。
29歳になることへの不安なんて、もうどこにもない。
ロケットの冷たい感触と、彼の言葉の温かさを感じながら、渚は、最高の笑顔で、ただ静かに、頷いた。
二人の新しい物語が、今、確かに始まった。そんな確かな予感を胸に、秋の夜は、優しく更けていくのだった。
エピローグ:渚先生の秘密日記、そして…
2025年9月22日(月曜日)晴れ、心は快晴
夢…?
これは、夢じゃないのよね…?
自宅に帰ってきて、もう一時間以上も経つのに、まだ心臓がドキドキして、手足が少しだけ震えてる。嬉しすぎて、幸せすぎて、感情がめちゃくちゃで、どうにかなっちゃいそう…!😭💕
だって、だって…!
先生が、私のために選んでくれた、ロケットペンダント。
その中に入っていた、四つ葉のクローバー🍀
「君自身に、幸運が訪れるように」ですって…?
もう、ダメ。そんなの、反則だよ…。私が、どれだけ先生のことを見てきたと思ってるの?でも、先生も、同じくらい、私のことを見て、分かっててくれたんだ…。その事実だけで、もう、十年分の涙が出そう…😢💖
それに、あの言葉。
蜂蜜の玉子焼きの話が出て、ユリシアさんの圧倒的な「日常」の前に、心が折れそうになった、あの時。私が、勇気を振り絞ってぶつけた、しょっぱい玉子焼きの「歴史」。
先生の、あの「まいったな」っていう、照れた笑顔。
あれは、紛れもなく、私の勝利だったんだよね…!✨
そして、最後の、あの言葉…。
「ユリシアは、守り続けなければならない、過去との誓い」
「渚は、これからの未来を、対等な立場で、隣を歩いていきたいと願う…パートナーだ」
パートナー…
ぱーとなー…
PARTNER…!
きゃーっ!思い出しただけで、また顔から火が出そう!🙈🔥
婚約者のユリシアさんとは違う、「未来」を共に歩む「パートナー」。
それは、恋愛経験のない、不器用なあの人が、一生懸命考えて、私のために紡いでくれた、世界で一番、誠実な愛の告白だよね…?そう思っていいんだよね!?😭💕
もう、29歳になることへの不安なんて、1ミクロンも残ってない!
だって、私の隣には、これから一緒に未来を歩いてくれる、最高の「パートナー」がいるんだから!
凛ちゃん、聞いてる?
私の「教育ママ」計画、最高の形で第一歩を踏み出せたみたいよ!💪
でも、これからはもう「導いてあげる」なんて、おこがましいことは言えないかも。
だって、私たちは、対等なパートナーなんだから。
二人で、支え合って、一緒に、大人の階段を上っていくの。
ああ、このロケット、明日から毎日つけよう。
そして、空っぽの片方には、いつか…先生と私の、二人だけの写真を、絶対に入れるんだから!💖
そう固く誓った、29歳の夜。
私の人生で、一番幸せな夜かもしれない。
おやすみなさい、私の愛しい人…♡