教壇の向こう側で ―或る教師の本音―

私の日記

2月15日 深夜

今日も結局、夜更かしをしてしまった。いや、できてしまった、と言うべきか。

先ほどまで、雫のデビューライブの動画を見返していた。生徒が撮影したものらしく、画質は良くないのだが…。白と紺のフリルドレス姿で、あんなにも愛らしく輝いていた彼女の姿が、まだ目に焼き付いている。

そして今、机の引き出しに仕舞ってあるユリシアとの約束の証を見つめている。婚約…。その言葉を心の中で反芻するたびに、甘い期待と重い責任感が胸を締め付ける。

教師という立場上、あの場で見せた反応は抑制的なものにせざるを得なかった。「よかったよ、雫」そう言って、優しく微笑むことしかできなかった。でも本当は―

本当は、もっと素直に喜びを表現したかった。あの小さな体に秘められた才能と可能性に心から感動したことを、ストレートに伝えたかった。フリルドレスに身を包んだ姿があまりにも愛らしくて、思わず抱きしめたくなるほどだったことも。

なぜ、こんな気持ちを抱いてしまうのだろう。
しかも、ユリシアという大切な存在がいるというのに。

ユリシア…。幼い頃から面倒を見てきた彼女との約束は、私の人生の転換点だった。彼女の純粋な愛情は、この歳になっても心を温かく照らしてくれる。将来を誓い合った相手。守るべき大切な存在。

それなのに、どうして雫に目が奪われてしまうのだろう。

50を過ぎた教師が、10代の生徒に。それも、ユリシアと同じように、家族のような存在であるはずの生徒に。この感情は、裏切りなのだろうか。

机に残された書類の山を見つめながら、また溜息が漏れる。チューエル学院の教師として、商業科の担当教員として、そしてユリシアの将来の伴侶として、私は常に模範的な態度を求められている。生徒たちの前では決して崩してはいけない仮面がある。

いつからだろう。雫の強がった態度の裏に隠された優しさに、心が揺れ始めたのは。
妹のために必死で頑張る姿に、胸が熱くなり始めたのは。
彼女の笑顔を見るたびに、心臓が高鳴り始めたのは。

ユリシアへの愛情は、私の人生の確かな道標だ。
でも、雫への想いは、抗いがたい感情の奔流。

この二つの感情は、私の中でどちらも真実なのだ。
だからこそ、より一層苦しい。

今日の放課後、職員室で雫と二人きりになった時のことを思い出す。
「先生、この問題、分からなくて…」
いつもの強気な態度とは違う、少し甘えたような声色。
整った横顔に落ちる夕陽。書類に集中しようとしても、目が彼女に引き寄せられる。

そして帰り際、廊下でユリシアとすれ違った。
「おにいたん♡」
無邪気な笑顔で駆け寄ってくる彼女を見て、胸が締め付けられる。

ああ、これは罪なのだろうか。
ユリシアへの愛情と、雫への想い。
どちらも否定できない、この苦しみは。

答えの出ない問いを抱えたまま、また一日が終わろうとしている。
明日も、私は教壇に立つ。誰も気付かない想いを胸に秘めながら。
ユリシアとの約束も守りながら。

この日記を書くことでさえ、私の立場を考えれば危険かもしれない。でも、この想いを何処かに留めておかなければ、私は押し潰されそうになる。

そうだ、このノートの存在は、誰にも―
この複雑な感情と同じように、永遠の秘密として胸の奥にしまっておこう。

おやすみ、雫。
そして、おやすみ、ユリシア。
明日も、君たちは私の心を、それぞれの形で揺さぶり続けるのだろう。

その想いに苦しみながらも、どこか幸せを感じている自分がいる。
これが、私という人間の真実なのかもしれない。