水曜日の夜12時。ユリシアは寝る前の準備を終え、ふと明かりのついたリビングに足を向けた。そこで見たのは、テレビの前で身を乗り出す和先生の姿。その手にはリモコンではなく、メモ帳と鉛筆—。まるで大切な研究でもするかのように、何かを書き留めている。
「おにいたん、まだ起きてたの?もう12時だよ?明日早いのに…」
和先生は振り返りもせず、目はスクリーンに釘付けのまま答えた。
「ああ、ユリシア…ちょっと見たいものがあってね」
その声には、普段の落ち着きとはどこか違う高揚感が混じっていた。画面には『トゥインクル☆バニーダンス』の新エピソードが流れている。
ユリシアは少し首を傾げながら、そっと和先生の横に座った。
「わぁ!新しいキャラクター登場したの?」
画面には、銀髪のショートヘアに赤い瞳を持つ少女たちが映し出されていた。三人とも姿形は瓜二つだが、表情や立ち振る舞いにはそれぞれ違いがある。
「そうなんだ!」和先生は珍しく弾んだ口調で説明を始めた。「今回から登場した三つ子のバニー姉妹なんだよ。聖シエル女学院の姉妹校から転校してきたんだ」
和先生が指さす画面には、三人が同時に跳躍するシーンが映っていた。銀色の髪が月光を浴びて輝き、まるで星屑のように舞う美しさ。
「ヒナ、カナ、アオっていうんだけど、性格がそれぞれ全然違うんだ」和先生は嬉しそうに説明を続ける。「ヒナは明るくて天真爛漫、カナはツンデレで強がり、そしてアオは…」
その時、和先生の声がほんの少し柔らかくなった。
「アオは人見知りで、奥手で…でもすごくヤキモチ焼きなんだ。主人公のミミィに憧れながらも、素直になれない葛藤が…」
ユリシアは思わず微笑んだ。おにいたんがこんなに熱く語るのを見るのは珍しい。まるで子供のように目を輝かせている。でも同時に、胸の奥でほんの少し不安な気持ちが芽生える。この「アオ」という子に向けるおにいたんの目は、普段と違う輝きを持っている気がして…。
「おにいたん、アオちゃんのこと、すごく気に入ったみたいだね?」
「え?あ、そうかな…」和先生は少し照れた様子で、メモ帳をそっと閉じる。「ただ、キャラクター造形が面白いなと思って…」
ユリシアの目が、和先生の手元のメモ帳に向けられた。そこには「アオの可愛いシーンまとめ」と書かれている。
(おにいたん♡、アニメのキャラクターにそんなに夢中になっちゃうなんて…。本当の私より、アニメの女の子の方が…?)
一瞬よぎった不安を振り払い、ユリシアは作戦に出ることにした。自分とおにいたんは婚約しているけれど、卒業まで秘密にする約束。だからこそ、卒業するまでおにいたんの心を私だけに向けさせておかないと…。
「えへへ〜♪ おにいたん♡、アオちゃんのこと、メモしてるの?」ユリシアは少しいたずらっぽく質問した。
「これは…研究用だよ。アニメーションの動きの研究というか…」
言い訳をする和先生の耳が、わずかに赤くなっている。
ユリシアは静かに笑いながら、もう少し近づいて座り直した。卒業までの約束を守るためにも、おにいたんの気持ちが離れないよう、しっかり自分の魅力をアピールしなくちゃ。
「おにいたん、私にも教えて?どうしてアオちゃんがそんなに好きなの?」
和先生は少し考え込んだ後、恥ずかしそうに口を開いた。
「アオはね…表情が豊かなんだ。特に恥ずかしがったり、嫉妬したりするときの表情が…その…」
ユリシアの頭に、以前見つけた「萌えキャラ完全攻略!究極の愛され表情集」の雑誌のことが浮かんだ。そこで紹介されていた「トロ顔」と「ヤキモチ顔」の特集—。
「あっ!もしかして、前に雑誌で見た”トロ顔”みたいな?」
和先生の顔が一気に赤くなる。
「ゆ、ユリシア!そんな雑誌、どこで…」
「えへへ。私もちょっと勉強してるの♪」ユリシアは和先生の反応を見て、内心ほくそ笑む。トロ顔作戦、効果ありかも?
画面では、三つ子の一人、アオが恥ずかしそうに頬を染める場面が映し出されていた。
「あ!」和先生が思わず声を上げる。「ここ、ここなんだ!アオの最高の表情が…」
そう言いながら、再びメモ帳を開いてメモを取り始める和先生。
(こんなに熱中して…卒業までまだあるのに、おにいたんの気持ちがアニメキャラに持っていかれちゃう前に、私もがんばらないと!)
「おにいたん、あの…」ユリシアは少し考えながら言葉を選ぶ。「アオちゃんって、もしかして…私に似てるところある?」
和先生の手が一瞬止まる。
「え?」
「だって、おにいたんの前では、私もちょっと…その…素直になれないときあるし」ユリシアは顔を赤らめながら続ける。「でも、本当はすっごく…おにいたんのこと…」
和先生はユリシアの方にゆっくりと顔を向けた。その瞳には、はっとした表情が浮かんでいる。
「ユリシア…」
ドキドキと高鳴る心臓の音が聞こえそうなほど、ユリシアは緊張していた。これは、雑誌に載っていた「恋心アピール作戦」の実践。うまくいくかな…?
「…もしかして、アニメ見たいの?」和先生が優しく微笑む。
「もう!おにいたんのバカ〜!」ユリシアは思わずクッションを和先生に投げつけた。
「え?なにがダメだったの?」和先生は本当に分からない様子。
ユリシアはため息をついて、でもすぐに笑顔に戻る。たとえ今は秘密の婚約者でも、ずっとおにいたんの傍にいたい。その気持ちは絶対に揺るがない。
「いいの、いいの。おにいたん♡と一緒にアニメ見れるだけで幸せだよ」
そう言いながら、ユリシアは和先生の腕にそっと寄りかかった。こうして二人きりの時間を過ごせることが、何より大切だから。
「そうだ、ユリシア。今度の土曜日、渚先生と『トゥインクル☆バニーダンス』の新グッズを見に行く約束をしてるんだけど…」
「えっ?渚先生と?」
ユリシアの心臓が一瞬止まったような気がした。渚先生とおにいたん、二人きりで出かけるなんて…。渚先生が昔からおにいたんに特別な気持ちを持っているのは、ユリシアも薄々感じていた。
「アニメイロで三つ子のグッズが発売されるんだ。特にアオの等身大タペストリーが…」
「私も行きたい!」思わず大きな声で言ったユリシアは、すぐに頬を染めて付け加えた。「あの、おにいたん♡と一緒なら…」
ユリシアの声には、いつもより少し強い決意が混じっていた。
和先生は優しく頷いた。
「もちろん。じゃあ今度の土曜日、三人で行こうか」
「うん!」
エピローグ
その夜、ユリシアは自分の部屋に戻った後、小さなノートに書き留めた。
『おにいたん♡の萌えポイント発見!アオちゃんみたいな恥ずかしがり屋さんが好きみたい…。次のトロ顔作戦は「アオちゃん風」でいこう!そして…渚先生にはちょっと負けられないかも!?卒業まではまだ2年以上あるけど…その間ずっと、おにいたん♡の心は絶対に私だけのものにしておかなきゃ!』
ユリシアは鏡の前でアオを真似た恥じらいの表情を何度も練習しはじめます。アオ役の声優さんのセリフを思い出しながら、小さな声で呟く。
「お、おにいたん…わ、私のこと見ないでください…でも…本当は見てほしいです…」
その言葉と共に、ユリシアはクローゼットの奥に手を伸ばした。そっと取り出したのは、先月の誕生日に茉里絵が密かに作ってくれた黒のバニースーツ。淑女養成学院の制服よりも遥かに大胆なデザインだったが、まりちゃんは「これこそ、貴方の本当の魅力を引き出す衣装ですわ」と言っていた。
「ちょっとだけ…試してみよう」
部屋の鍵をそっと閉め、ユリシアは制服から着替え始めた。ぴったりと身体にフィットする黒の生地、胸元と背中の大胆なカットアウト、そして可愛らしい白い襟とカフス。鏡の中の自分は、いつもの「おにいたん♡の妹」とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。
「わっ…こ、これって…私…?」
頬を赤らめながら、ユリシアは恥ずかしそうに首を傾げた。その仕草は、まさにアオちゃんがアニメの中でやっていたのと同じ。
「えへへ…おにいたん♡、もし私がこんな姿で『お、おにいたん…わ、私のこと見ないでください…でも…本当は見てほしいです…』なんて言ったら…どんな顔するかな?」
想像するだけで頬が熱くなる。でも…。
「うん!私のほうが絶対魅力的だもん!アニメのアオちゃんだって渚先生だって雫ちゃんだって、誰にも負けないんだから!」
窓から差し込む月明かりの中、ユリシアはクルッと一回転し、アニメのエンディングポーズを真似てみる。バニースーツの背中についた小さな白いしっぽが、可愛らしく揺れた。
「私とおにいたん♡、絶対に結婚するからね!この秘密の婚約は、必ず本物の結婚に変えてみせる!」
そっと胸に手を当て、ユリシアは窓の外の星空に向かって小さな誓いを立てた。