盤上のゲームと、第三の選択(第2学年編・12-6)

ユリシアの全力おにいたん計画恋する渚の妄想全力アプローチ第2学年

2025年9月6日(土曜日)

第1章:完璧な籠城、甘い罠

九月最初の土曜日の朝。ユリシアは、いつもより早く目を覚ました。窓から差し込む光が、今日の「作戦」の成功を祝福してくれているかのようだ。

キッチンからは、コーヒーの香ばしい匂いと、バターが溶ける甘い香りが漂ってくる。テーブルの上には、ふわふわのフレンチトーストと、彩り豊かなフルーツサラダ。そして、リビングのローテーブルには、おにいたん♡が好きなアクション映画のDVDと、大量のスナック菓子が完璧な布陣で並べられている。

ユリシア
ユリシア

ふふっ、完璧な籠城計画…♡ これで、おにいたん♡は今日一日、このお部屋から一歩も出られないんだから

先週末、胸を締め付けたあのモヤモヤとした不安。渚先生の影に怯えていた自分は、もういない。私は婚約者。この家の、そしておにいたん♡の隣という「玉座」は、誰にも譲らない。

和先生
和先生

おはよう、ユリシア。すごいご馳走だな

寝癖をつけたままリビングに現れた和先生が、目を丸くする。

ユリシア
ユリシア

おはよう、おにいたん♡!今日はね、一日中おにいたん♡とゴロゴロしながら、映画を見る日にしちゃいました!えへへ、ダメ…かな?

ユリシアは、計算され尽くした上目遣いで、彼のシャツの袖をきゅっと掴んだ。その、子猫のような甘え方。彼がこの「お願い」を断れないことを、彼女は誰よりも知っていた。

和先生
和先生

はは…まいったな。そんな顔をされたら、断れるわけないだろう

和先生が降参したように微笑む。ユリシアは心の中で、小さくガッツポーズを決めた。

第2章:盤外からの、美しき挑戦者

映画が始まり、アクションシーンが最高潮に達した、午前10時過ぎ。
ピンポーン、と。
穏やかな土曜日の空気を破るように、玄関のチャイムが鳴り響いた。

和先生
和先生

あれ?誰だろう。宅急便かな

和先生が立ち上がろうとするのを、ユリシアは

ユリシア
ユリシア

私が見てくるー!

と元気よく制し、玄関へと向かう。ドアスコープを覗き込んだ瞬間、彼女の全身の血が、一瞬で凍りついた。

そこに立っていたのは、スポーティーで、しかし女性らしいラインのウォーキングウェアに身を包んだ、渚先生の姿だった。

(な…んで、この人が…!?)

ユリシア
ユリシア

…はい

ユリシアは、動揺を完璧に隠し、あくまでも「家主の娘」として、穏やかにドアを開けた。

渚

あら、ユリシアさん。おはようございます

渚は、にこやかに微笑む。その笑顔は、どこまでも優雅で、一点の曇りもない。

ユリシア
ユリシア

な、渚先生…!ど、どうしてここに…?きょ、今日は学校、お休みですよぅ!

突然の来訪者に、ユリシアは動揺を隠せない。必死で冷静を装おうとするが、声は上ずり、語尾はいつもの甘えた調子に戻ってしまった。

渚

ええ、存じております。今日は、和先生とお約束がありまして

ユリシア
ユリシア

…約束?

渚

はい。毎週土曜日に、公園でウォーキングを。先生の健康管理も、大切な同僚の務めですから

その言葉に、ユリシアの中で、何かがプツリと切れた。

ユリシア
ユリシア

毎週…土曜日…!?

先週末の、あのモヤモヤの正体。それは、やはりこの人だったのだ。

ユリシア
ユリシア

あいにくですけれど…。先生は、今日、わたくしと…映画を見るという、約束が…ございますの。ですから、お引き取り、願えませんこと?

ユリシアは、慣れないお嬢様言葉を必死で紡ぎ出す。そのぎこちない丁寧さが、かえって彼女の敵意を露わにしていた。

しかし、渚は全く動じなかった。彼女は、ふっと笑みを深めると、その声のトーンを少しだけ変えた。

渚

ええ,存じております。ですが、私の約束は先週、和先生と直接交わしたものです。

渚

生徒である貴女の、今日の可愛らしい『お願い』とは、少しだけ重みが違うかと思いますが

二人の間に、目に見えない火花が散る。
ユリシアは「婚約者」として、家の中から。
渚は「約束」を盾に、家の外から。
一歩も譲らない二人の視線が、静かに交錯した。

第3章:優柔不断な王の選択と、第三の道

和先生
和先生

…どうしたんだい?そんな玄関で

リビングから、事態を察した和先生が、困惑した表情で顔を覗かせた。

ユリシア
ユリシア

おにいたん♡!

渚

和先生!

二人の女性の視線が、一斉に彼に突き刺さる。片や、今にも泣き出しそうな瞳で助けを求める婚約者。片や、約束の履行を静かに待つ、信頼できる同僚。

和先生
和先生

まずい…!これは、まずいぞ…!

和先生の額に、じわりと汗が滲む。完全に、ダブルブッキングだ。ユリシアの可愛いお願いに気を取られ、渚先生との約束をすっかり失念していた。

和先生
和先生

あ、あのな、二人とも…

彼が何かを言い訳しようとした、その時だった。

和先生の家に来た渚先生と、おにいたん♡の腕にしがみつくユリシア

ユリシア
ユリシア

先生は、私と映画を見るって約束してくれたもん!

ユリシアが、彼の腕にぎゅっとしがみつく。

渚

ですが、先生。健康のための運動という約束も、非常に重要かと存じますわ

渚も、一歩も引かない。

どうする。どうすればいい。ユリシアの涙も、渚先生の期待も、どちらも裏切ることなどできない。彼の頭脳が、必死で活路を探す。ユリシアが望むのは、「二人きりで、家で過ごす時間」。渚先生が望むのは、「二人きりで、健康的な活動をする時間」。どちらかの要求を飲めば、どちらかが傷つく。ならば…。

和先生
和先生

…分かった

和先生は、何かを決意したように、ポン、と手を打った。

和先生
和先生

二人とも、リビングにお入りなさい

リビングに通された渚は、少しだけ不思議そうな顔をしている。
和先生は、テレビの前に立つと、映画のDVDをプレイヤーから取り出した。そして、代わりに一枚のディスクを入れる。画面に映し出されたのは、美しい自然の中で、インストラクターがヨガのポーズを取る映像だった。

渚

これは…?

和先生
和先生

渚先生、提案があります

和先生は、真剣な顔で言った。

和先生
和先生

今日のウォーキングは中止させてください。その代わり、この家で、私に『ストレッチ』の指導をしていただけないでしょうか

和先生
和先生

以前、渚先生が送ってくれた参考動画、今でも大切に見ていますが、やはりプロに直接指導していただくのが一番かと思いまして

渚

え…?あの動画を…?

渚の目に、驚きと喜びの色が浮かぶ。

和先生
和先生

そして、ユリシア

彼は、腕にしがみつくユリシアの頭を、優しく撫でた。

和先生
和先生

君の言う通り、今日は一日、家で過ごそう。君も、渚先生の指導を受けなさい。君は体が硬いから、良い機会だろう?

それは、誰も予想しなかった、第三の選択だった。

第4章:リビングという名の、新たな戦場

その日の午後。和先生の家のリビングは、奇妙な熱気に包まれていた。

渚

はい、先生!もっと腰を落としてください!体幹がブレています!

和先生
和先生

う、うん…!これは、思ったよりキツいな…!

渚は、プロのインストラクターとして、的確な指導を飛ばす。その生き生きとした姿は、ただの恋する女性ではない、専門家としての輝きに満ちていた。

一方、ユリシアは。

ユリシア
ユリシア

うぅ…おにいたん♡、私、もう無理だよぉ…。足がプルプルするぅ…

わざとらしく床にへたり込み、和先生に助けを求める。

渚

こら、ユリシアさん!甘えないでください!

渚の厳しい声が飛ぶが、和先生は

和先生
和先生

ははは、ユリは昔から体力がなくてな

と、どこか嬉そうだ。

ユリシア
ユリシア

くっ…!この女、教師の立場を利用して、なんて自然に…!

ユリシアは内心で歯噛みする。

一方の渚先生はというと…

渚

えっ!?あ、あの動画を、今でも大切に…!?先生ったら、あんな恥ずかしい動画を…もう、もう嬉しすぎて心臓が持たない…!

渚

でも、今は集中しないとね!?…ふふっ、ユリシアさん、どう??ただ甘えるだけの貴女とは違うんだから。この体力と専門知識で、絶対にあなたには負けないんだからね!

渚は、表面上は涼しい顔で微笑みながらも、内心では激しく動揺し燃えて(萌えて)いた。

映画鑑賞という「籠城策」は破られた。
しかし、ユリシアはまだ負けてはいない。ここは、自分のホームグラウンドなのだから。

ユリシア
ユリシア

はーい、もう休憩の時間だよ!お二人とも、お疲れ様です♡ 私、とっておきの冷たいハーブティー、淹れてきますね!

そう言ってキッチンに消えるユリシア。その背中を見送りながら、和先生は渚の隣に少しだけ身を寄せ、ひそひそ話をするように声を潜めた。

和先生
和先生

世話をかけてすまないな、渚。でもあいつは、ああ見えて世話好きなんだ

その、不意打ちの呼び捨て。

渚

え…

渚の心臓が、大きく跳ねた。先生?いいえ、今、彼は確かに「渚」と呼んだ。その甘い響きに、トレーニングの疲れも、ユリシアへの対抗心も、一瞬でどこかへ飛んでいってしまいそうになる。

しかし、ほどなくして、ユリシアがトレイに乗せた三つのグラスを運んで戻ってきた。そして、当然のように和先生の隣にぴったりと座り、一つのグラスを愛おしそうに手渡した。

ユリシア
ユリシア

はい、おにいたん♡ 蜂蜜、多めにしておいたからね

その言葉に、今度は渚の心がチクリと痛んだ。
蜂蜜、多め。それは、彼女の知らない、二人の日常の中にだけ存在する、甘い約束。先ほどの「渚」という呼び方に舞い上がっていた自分の心が、急速に冷静になっていくのを感じた。

リビングという名の、新たな戦場。
挑戦者と婚約者の、第二ラウンドのゴングは、今、鳴らされたばかりだった。
奇妙な三角関係のストレッチ指導は、西の空が茜色に染まる頃まで、賑やかに、そして熾烈に続いていくのだった。