2026年8月22日(土曜日)
土曜日の朝。
カーテン越しの夏の日差しが、静かなリビングに差し込んでいました。
テーブルの上では、淹れたてのコーヒーから細い湯気が立ちのぼっています。
和先生はその香りを楽しみながら、いつものようにスマートフォンでニュースを確認し、天気予報に目を通していました。
そして、そのまま何気なくSNSを開いたとき――。
画面いっぱいに、昨日の日付とともに、たくさんのイラストが流れてきました。
8月21日は「バニーの日」!🐰✨
「…………」
和先生の指が止まりました。
もう一度、日付を確認します。
8月21日。
そして今日は――。
8月22日。
数秒の沈黙。
「な、なんですってえええっ!?」
静かな土曜日の朝に、普段の和先生からは想像もつかない声が響き渡りました。
「昨日……バニーの日だったんですか!?」
慌てて画面をスクロールします。
ヒナ。
カナ。
そして――。
「アオちゃん……!」
三つ子バニーズの末っ子。
銀色の髪に赤い瞳。
人前に出ることが苦手で、見つめられるだけですぐに頬を赤らめてしまう女の子。
けれど、大切な人のことになると、少しだけヤキモチ焼き。
和先生の最推し――アオちゃんです。
「しまった……」
和先生はスマートフォンを握ったまま、がっくりとうなだれました。
「昨日、一度もアオちゃんのことを思い出さなかった……」
その声には、本気の後悔がにじんでいました。
「こんな大切な日に……私はいったい何を……」
そのとき。
「ふぁぁ……。おにいたん、朝からどうしたの……?🥱」
大きな声で目を覚ましたらしいユリシアが、眠そうに目をこすりながらリビングへ入ってきました。
「なんか、ものすごくショックなことがあったみたいだけど……」
「ユリ……」
和先生は深刻な表情で振り返りました。
「私、とんでもない失敗をしてしまいました」
「えっ!?」
ユリシアの眠気が一瞬で吹き飛びます。
「な、なに!? 学校のこと!? 大事な書類とか!?」
「昨日――」
「うん……」
「バニーの日だったんです」
「…………」
「…………」
ユリシアはしばらく黙ってから、小さく首を傾げました。
「……それで、その顔してたの?」
「その顔とは何ですか、ユリ!」
和先生は珍しく語気を強めます。
「8月21日ですよ! バ・ニーです! 三つ子バニーズを応援している者として、こんな大事な日を忘れるなんて……!」
「おにいたん……」
ユリシアは半分あきれながら、和先生のスマートフォンを覗き込みました。
案の定、画面いっぱいに映っているのはアオちゃんです。
「やっぱりアオちゃんなんだ……😑」
「もちろんですよ」
即答でした。
「……そこ、0.1秒も迷わないんだね」
和先生はそんなユリシアの視線にも気づかず、今度は『トゥインクル☆バニーダンス』の過去エピソードを再生し始めました。
「せめて一日遅れでも、アオちゃんの活躍をきちんと見返しておかないと」
「それ、ただアニメ見たいだけじゃないの?」
「違いますよ、ユリ」
和先生は真顔で答えます。
「これは昨日何もできなかったことへの、私なりのけじめです」
「推し活に“けじめ”ってあるんだ……」
画面の中では、アオちゃんが頬を膨らませ、少し拗ねた顔で横を向いていました。
『……もう知りません』
「――っ!」
和先生の肩が跳ねます。
「アオちゃん……!」
「え?」
「怒っています……」
ユリシアが、ゆっくりと和先生の横顔を見ました。
「……まさか、自分に言われてると思ってる?」
「やっぱり怒っているじゃないですか!」
「思ってるんだ……」
しかし、和先生にはもう届いていません。
「ごめんよ、アオちゃん……。昨日気づいてあげられなくて」
『……もう知りません』
「本当にすまない……」
ユリシアはとうとう吹き出しました。
「ふふっ……おにいたん、アニメの女の子に本気で謝ってる🤣」
しばらくして。
和先生は、何かを思いついたようにスマートフォンを操作し始めました。
「……よし」
「今度はなに?」
「来年の予定を登録しておきます」
画面には――。
2027年8月21日
バニーの日――アオちゃん🐰
最重要・絶対に忘れない
「最重要……」
ユリシアが遠い目をしました。
さらに和先生は通知設定を開きます。
「一週間前、三日前、前日、それから当日の朝にも通知を――」
「おにいたん、国家試験でも受けるの?」
「念には念を入れておかないと」
「バニーの日だよ?」
和先生は真剣そのものです。
「推し活では、想定外というものをできるだけ排除して――」
「その説明だけ聞くと、完全に簿記の授業なんだけど」
そのとき。
ユリシアが画面を覗き込んで、ぴたりと動きを止めました。
「……あれ?」
「どうしました?」
「おにいたん、これ……来年だけじゃないよ」
「はい?」
ユリシアが指差した先には、
繰り返し:毎年
そして、その下に――。
終了日:なし
「おにいたん、間違えて毎年にしてるよ?」
「いいえ?」
「…………え?」
和先生は何でもないことのように答えました。
「毎年ですから」
「わざとだったの!?」
「もちろんですよ」
「一生祝う気なんだ……」
ユリシアはしばらく呆然と画面を見つめていましたが、やがて頬をぷくっと膨らませました。
「……ねえ、おにいたん」
「はい?」
「私の誕生日も、そんなにいっぱい通知入れてる?」
「いえ、入れてませんよ」
「…………おにいたん?」
和先生は、きょとんとした顔でユリシアを見ました。
「ユリの誕生日は、通知なんてなくても忘れませんから」
「…………♡」
一瞬で、ユリシアの頬が赤くなりました。
「どうしました?」
「なんでもないっ♪」
先ほどまでの不満そうな顔はどこへやら。
ユリシアは嬉しそうに和先生の腕へ頬を寄せました。
夏の朝の柔らかな光の中、シャツ越しに伝わる温もりが心地よくて、しばらくそのまま離れようとしません。
そんなユリシアの隣で、和先生は改めてスマートフォンを確認しました。
毎年8月21日――バニーの日・アオちゃん🐰
終了日:なし
「よし。これでもう大丈夫です」
そしてスマートフォンに映るアオちゃんを見ながら、力強く頷きます。
「アオちゃん、来年こそ俺は絶対に――」
「…………」
和先生の言葉が止まりました。
ユリシアが、ぴたりと頬を離します。
そして――。
じーっ。
「おにいたん」
「……はい」
「今、『俺』って言ったよね?👀」
「……言ってませんよ」
「言ったよ」
「気のせいでは?」
「アオちゃんのことになると、なんで毎回そこだけ素に戻るの!?🤣」
和先生は気まずそうに咳払いしました。
「と、とにかく。来年からはもう忘れません」
「ふーん……」
ユリシアは少しだけ考えると、何かを思いついたようにニヤリと笑いました。
「じゃあ私も予定入れよーっと♪」
「何の予定です?」
ユリシアは自分のスマートフォンを取り出し、楽しそうに画面を操作します。
そして――。
2027年8月21日
おにいたん、一日予約済み♡
「……ユリ?」
「来年のバニーの日は、アオちゃんより先に私がおにいたんを予約しましたっ!🥰」
「いや……そういう予約の仕方なんですか?」
「早い者勝ちだもん♪」
「ですが、私の予定表にはすでに――」
「知らなーい♪」
ユリシアは満足そうに和先生の腕へぎゅっとくっつきました。
スマートフォンの画面には、愛しのアオちゃん。
その隣には、自分を「一日予約済み」にしてご機嫌なユリシア。
和先生は二人を交互に見比べると――。
困ったように、そっと眼鏡を押し上げました。
どうやら来年のバニーの日も、
今からすでに賑やかな一日になることだけは間違いなさそうです。🐰✨
