2026年5月。
チューエル淑女養成学院では、新しい夏用制服の正式採用と同時に、もう一つの新しい装いが生徒たちへ支給されることになった。
それは、学院公認の夏用スポーツウェア。
ネイビーと白を基調に、アカデミーゴールドの装飾を添えた、チューエルらしい上品なデザイン。
動きやすさを重視しながらも、淑女養成学院らしい可憐さと格式を失わない、まさに学院らしい一着だった。
その知らせに、特に大きく反応したのがヨガ同好会だった。
「ユリちゃん、少し相談してもよろしいですか?」
放課後。
茉里絵は、いつもの穏やかな表情でユリシアに声をかけた。
「もちろんだよ、まりちゃん! どうしたの?」
ユリシアがぱっと顔を上げる。
茉里絵は胸元に手を添えながら、少し考え込むように言った。
「今回支給される夏用スポーツウェア、とても素敵だと思いますの。動きやすさもありますし、学院らしい品もあります。せっかくなら、ヨガ同好会の活動紹介にも活用できないかと思いまして」
「ヨガ同好会の活動紹介?」
「ええ。学院内で使用する、簡単なヨガ動画を撮影するのはいかがかと。新入生にも分かりやすく、身体を整えるきっかけになると思いますわ」
「それ、すごくいいと思う!」
ユリシアは目を輝かせた。
「おにいたんも最近、授業とか書類仕事で肩がこるって言ってたし、見てもらったら健康にも良さそう!」
茉里絵は、にこりと微笑んだ。
けれど、その日の奥に、ほんの少しだけ複雑な色が浮かぶ。
「……ただ、どうせ学院内で正式に使用する動画にするのでしたら、モデルの人選も大切ですわ」
「モデル?」
「はい。ヨガ同好会の活動紹介でありながら、学院の品格も伝わるものにしたいのです。でしたら……天瀬りおな様にお願いしてみる、というのはいかがでしょう?」
「りおなさんって、あの天瀬りおなさん!?」
ユリシアの声が弾んだ。
「学院の卒業生で、今はプロモデルの……すごい! そんな人が出てくれたら、新入生も絶対見るよ!」
「ええ。学院の卒業生としての説得力もありますし、立ち居振る舞いも美しい方です。何より、夏用スポーツウェアの魅力を自然に伝えられると思いますわ」
「いいね、いいね! おにいたんも絶対見ると思う!」
その瞬間、茉里絵の微笑みが、ほんのわずかに固まった。
「……ユリちゃん。それは、渚先生のお心が少々ざわつくかもしれませんわ」
「え? どうして?」
「そのままの意味ですわ。和先生がご覧になる、ということは……。」
「?」
ユリシアは首を傾げた。
茉里絵は、困ったように、けれどどこか楽しそうに目を伏せる。
「……いえ。ユリちゃんは、そのままでいてくださいませ」
「???」
茉里絵はそんな親友を見て、静かに微笑む。
ユリシアは、時々とんでもない爆弾を、あまりにも無邪気に投げる。
そして本人だけが、その破壊力に気づいていない。
それがまた、彼女らしいところでもあった。
第一章 ヨガ同好会からのお願い
翌日。
茉里絵は、ヨガ同好会の顧問である渚先生に、正式に企画を相談した。
「渚先生。夏用スポーツウェアを使った、学院内向けのヨガ動画を制作できないでしょうか」
渚先生は資料に目を通しながら、穏やかに頷いた。
「いい提案ですね、茉里絵さん。新しいスポーツウェアの紹介にもなりますし、ヨガ同好会の活動を知ってもらう機会にもなります」
さすが顧問。
渚先生の反応は、落ち着いていて的確だった。
「ただし、公開する動画にするなら、見栄えだけを優先してはいけません。初心者の生徒でも無理なく真似できるように、ポーズの順番や難易度には注意しましょう」
「はい。そこは渚先生にご確認いただきたいと思っております」
茉里絵は丁寧に頭を下げた。
そして、少しだけ声を落とす。
「それから……もし可能であれば、特別協力として、天瀬りおな先輩にお願いできないかと考えています」
「天瀬りおなさん……」
渚先生の指が、資料の上でぴたりと止まった。
天瀬りおな。
チューエル淑女養成学院の卒業生であり、現在は全国区で活躍する23歳のプロモデル。
在学中から雑誌モデルとして活動し、今では広告やブランドカタログでも名前を見る存在だ。
その姿勢の美しさ、所作の上品さ、カメラ前での表現力は、生徒たちの間でもよく知られている。
顧問として考えれば、これ以上ない協力者だった。
「確かに、天瀬さんにご協力いただけるなら、動画の完成度はかなり高くなりそうですね」
渚先生は、にこやかにそう言った。
外側は完璧だった。
だが、内側では。
りおなさん……23歳……全国区モデル……公式ヨガ動画……。
そして私は、あと4か月で30歳……三十路目前……。いえ、落ち着いて渚!
私はヨガ同好会の顧問!
私は体育教師!
私は和先生の実質的フィアンセ!
先生の未来のパートナー!……でも、あと4か月で30歳!?
いやあああああ!! そこを今、再確認しないでえええ!!。゚(゚´Д`゚)゚。
渚先生の脳内で、謎の非常ベルが鳴り響いていた。
しかも、問題はそれだけではない。
去年の1月。
渚先生は、運動不足気味だった和先生の役に立ちたくて、自撮りのストレッチ動画を送っていた。
何度も撮り直して、説明の順番も考えて、送信ボタンの前で散々迷って。
それでも、和先生の健康のために勇気を出して送った、大切な動画。
そして後日、和先生はそれを「今でも大切に見ている」と言ってくれた。
それは渚先生にとって、心の宝物のような言葉だった。
そうよ……私には、あの動画がある!
先生の健康管理分野における、私のポジションは確立済みのはず!なのにここで、23歳全国区モデルの高画質公式ヨガ動画が投入されるなんて……!
これは、私のストレッチ動画のシェアを奪いに来た黒船では!?🚢💥だめよ渚、負けないで!
自撮り動画には、自撮り動画にしかない愛があるの!!😭💕
「渚先生?」
茉里絵が、不思議そうに声をかける。
渚先生は、はっと我に返った。
「何でもありません。安全面を考慮して、ポーズの構成を確認しましょう」
声は穏やかだった。
ただし、心拍数はまったく穏やかではなかった。
第二章 天瀬りおな、来校
数日後。
天瀬りおなが学院を訪れた。
黒髪のロングヘアに、琥珀色の瞳。
穏やかな微笑みと、すっと伸びた背筋。
派手に目立つわけではないのに、その場に立つだけで空気が整っていくような存在感があった。
「天瀬りおなです。本日は母校のお役に立てる機会をいただき、ありがとうございます」
りおなは丁寧に一礼した。
茉里絵も、きちんと礼を返す。
「橘茉里絵です。本日はよろしくお願いいたします」
隣にいたユリシアも、少し緊張しながら笑顔を見せた。
「ユリシア・ファランドールです! りおな先輩、よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ユリシアさん、茉里絵さん」
りおなは柔らかく微笑んだ。
その様子を、少し離れた場所から雫が見ていた。
「……ほんとに来たんだ。天瀬りおな」
雫は腕を組み、いつものように平静を装っている。
けれど、その声には隠しきれない緊張が混じっていた。
雫にとって、りおなは遠い存在だった。
同じ芸能やモデルの仕事に関わっているからこそ、りおなの凄さはよく分かる。
全国誌、広告、ブランドカタログ。
カメラの前での立ち方、視線の作り方、空気の支配の仕方。
地方で少し知られている程度の自分とは、実績も知名度もあまりに違う。
「雫ちゃんもモデルさんだし、りおな先輩と一緒に撮影できるなんてすごいね!」
ユリシアが、悪気なく明るく言った。
その瞬間、雫の胸に小さな棘が刺さる。
「……一緒って言っても、向こうは全国区。アタシなんか、地方のその他大勢みたいなもんでしょ」
「えっ、雫ちゃん、そういう意味じゃなくて……!」
ユリシアは慌てて両手を振った。
「私、雫ちゃんの写真もすっごく好きだよ! 雫ちゃんは雫ちゃんで、すごく可愛いし、かっこいいもん!」
「べ、別にそこまで落ち込んでないし」
雫はそっぽを向く。
けれど、耳はほんの少し赤かった。
茉里絵が、静かに口を開く。
「雫さん。りおな先輩と比べるために並ぶのではありませんわ」
「……」
「今回は、学院の夏を伝えるために、皆で一つの動画を作るのです。雫さんには、雫さんにしか出せない表情があります」
雫は返事をしなかった。
ただ、視線だけを少しだけ下げた。
りおなは、そんな雫の様子を穏やかに見つめていた。
第三章 和先生、健康目的で見学する
撮影初日。
学院の一室には、ヨガマットが敷かれ、夏用スポーツウェアを着た生徒たちが集まっていた。
りおなは中央に立ち、まずは基本の立ち姿から確認する。
「無理に胸を張ろうとしなくて大丈夫です。頭の上から糸で引かれているように、自然に背筋を伸ばしてみてください」
声は穏やかで、説明は分かりやすい。
茉里絵は部員たちの位置を確認しながら、動画の流れを整えていた。
ユリシアは少し離れた場所で、まりちゃんの手伝いをしながら見守っている。
そこへ、和先生が顔を出した。
「邪魔にならないところで見てるよ。最近、肩と腰がちょっと固くてね。少し参考にしたいんだ」
その瞬間、渚先生の脳内に再び警報が鳴った。
来たあああああ!!
先生が来ちゃったああああ!!😱💦健康目的。そう、健康目的。
分かっています。先生は真面目な方です。
でも、でもでも!
その視線の先には、23歳全国区モデルのりおなさんが……!!落ち着いて渚。私は顧問。私は大人。私はあと4か月で30歳。
……だからそこを思い出さないでえええ!!。゚(゚´Д`゚)゚。
外側の渚先生は、完璧な笑顔だった。
「和先生も、どうぞ無理のない範囲でご覧ください。肩こり対策にもなると思います」
「ありがとう、渚先生」
和先生はそう言って、少し後ろに立った。
りおなが、山のポーズを取る。
ただ立っているだけなのに、軸がぶれない。
呼吸が静かで、肩にも余計な力がない。
和先生が、ぽつりと言った。
「すごいな。あれだけ軸が安定してると、見てるだけでも参考になるね」
その一言に、渚先生の笑顔が一瞬だけ固まる。
見てるだけでも参考になる……?
先生、それはつまり、これからもりおなさんの動画を見るということですか!?待ってください。
先生には、私のストレッチ動画がありますよね!?
去年の1月に送った、あの、私が何度も撮り直して、説明も角度も表情も気にして、送信ボタンの前で三十分くらい固まった、あの動画が!!「今でも大切に見てる」って言ってくれましたよね!?
あれは社交辞令じゃないですよね!?
私、信じてますからね!?😭💕
一方、雫もまた、面白くなさそうに唇を尖らせていた。
「……先生、ずいぶん楽しそうに見てるじゃない」
和先生はきょとんとした顔で雫を見る。
「ん? ああ、勉強になるからね。雫も見ておくといいよ。撮影の仕事にも役立つと思う」
「……先生に言われなくても分かってるし」
雫はぷいっと横を向いた。
悔しい。
りおなを綺麗だと思ってしまうのが悔しい。
そして何より、和先生がその凄さに気づいていることが、たまらなく悔しかった。
第四章 木のポーズで崩れる雫
次に撮影するのは、木のポーズだった。
片足で立ち、もう片方の足を太ももに添える。
両手を胸の前で合わせ、呼吸を整える。
りおなが見本を見せると、その姿はまるで一枚のポスターのようだった。
「……同じ人間なの、あれ」
雫が小さく呟く。
「雫さん」
茉里絵がそっと声をかける。
「大丈夫ですわ。無理にりおな先輩のように見せようとしなくても」
「分かってるわよ」
雫はそう言って、マットの上に立った。
けれど、身体に力が入っている。
りおなのように綺麗に見せたい。
和先生に見てほしい。
でも、比べられたくない。
その全部が、雫の肩に乗っていた。
片足を上げた瞬間、ぐらりと身体が揺れる。
「きゃっ……!」
バランスを崩しかけた雫を、渚先生がすぐに支えた。
「雫さん、肩の力を抜いて」
顧問としての声だった。
「綺麗に見せようとしなくていいの。まずは、呼吸を整えましょう」
りおなも静かに頷く。
「水無瀬先生のおっしゃる通りです。モデルでも、ヨガでも、無理に綺麗に見せようとすると、逆に身体が固まります」
茉里絵が、雫の前に立つ。
「雫さん。今のあなたは、ちゃんとあなた自身の足で立っていますわ」
ユリシアも両手を胸の前で握った。
「雫ちゃん、大丈夫! 私、ちゃんと見てるから!」
「……そんなに見なくていいし」
雫は顔を赤くした。
その時、和先生が穏やかに言った。
「雫、無理にりおなさんみたいにならなくていいよ」
雫が、はっと顔を上げる。
和先生は、少しだけ照れたように笑った。
「君は君のままで、ちゃんと魅力があるから」
雫の顔が一気に赤くなった。
「なっ……な、何言って……!」
「いや、変な意味じゃなくてね。撮影の仕事でも、雫らしさって大事だと思うから」
和先生は慌てて補足する。
その様子に、りおなは静かに微笑んだ。
茉里絵は小さく目を伏せ、ユリシアはぱあっと笑顔になる。
渚先生だけは、心の中で別の意味でも大変だった。
先生……今、雫さんを褒めましたね……?
いえ、分かっています。教師として、生徒を励ましただけ。
分かっていますとも。でも、その優しい言い方!
その少し照れた表情!
それ、破壊力が高すぎませんか!?💥だめよ渚。ここで嫉妬してはいけない。
私は顧問。私は大人。私は実質フィアンセ。
フィアンセは余裕を持つもの……たぶん!!(`・ω・´)✨
雫は深呼吸した。
りおなを見るのではなく、自分の足元を見る。
和先生の視線を気にするのではなく、自分の呼吸を数える。
もう一度、片足を上げる。
今度は、少し揺れた。
でも、倒れなかった。
「……できた」
小さな声で、雫が呟く。
「雫ちゃん、すごい!」
ユリシアが嬉しそうに声を上げた。
茉里絵も、ほっとしたように微笑む。
「とても綺麗でしたわ、雫さん」
雫は真っ赤な顔でそっぽを向いた。
「べ、別に……これくらい普通だし」
けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。
第五章 渚先生の動画は、まだ現役です
撮影の休憩中。
和先生は、渚先生の隣に立って、りおなや生徒たちの動きを見ていた。
「渚先生、今日の構成、すごく分かりやすいね」
「ありがとうございます。初心者の生徒でも無理なく続けられるようにしたかったので」
「そういえば、前に渚が送ってくれたストレッチ動画も、こういう考え方だったよね」
「……え?」
渚先生の呼吸が、一瞬だけ止まった。
和先生は、何気ない様子で続ける。
「無理に伸ばすんじゃなくて、呼吸に合わせて少しずつ動かすっていう。あれ、今でも時々見返してるよ。肩が固い時、けっこう助かってる」
外側の渚先生は、静かに微笑んだ。
「そ、そうですか。お役に立てているなら、嬉しいです」
完璧な返答だった。
けれど、内側では。
きゃあああああああああああああ!!!!!
覚えてた!!
先生、覚えてた!!
私の動画、まだ先生の中で現役だったああああ!!😭💕✨りおなさんの公式ヨガ動画も素敵だけど!
先生の健康管理の原点は、私の自撮りストレッチ動画!!つまり私は、まだ負けてない!!
いいえ、むしろ勝ってる!?先生のスマホの中に、私の動画がある。
先生の記憶の中にも、私の説明が残っている。
これはもう、実質パートナー専用健康サポート契約なのでは!?
契約書はないけど、心の中では締結済みです!!📝💍✨
渚先生の脳内で、祝勝パレードが始まっていた。
その様子を少し離れた場所から見ていたユリシアが、小さく首を傾げる。
「まりちゃん、渚先生、なんだかすごく嬉しそう」
茉里絵は静かに微笑んだ。
「ええ。きっと、和先生のお言葉が嬉しかったのでしょう」
「そっか。よかったね、渚先生」
「……ユリちゃんは、本当に優しいですわね」
「えへへ、そうかな?」
「はい。そのままでいてくださいませ」
茉里絵はそう言いながらも、心の中で思っていた。
ユリシアの無邪気さは、時に誰よりも強い。
そして渚先生の心を、時々とんでもなく揺らしてしまう。
けれど、それも含めて、この学院の日常なのだ。
第六章 それぞれの呼吸
撮影は順調に進んだ。
りおなは、完成された美しさでポーズを見せた。
渚先生は、顧問として生徒たちの身体を丁寧に見守った。
茉里絵は、全体の流れを整えながら、部員たちを支えた。
雫は、りおなとの差に悔しさを覚えながらも、自分の足で立つ感覚を少しずつ掴んでいった。
ユリシアは、そんな皆を一生懸命応援した。
撮影の最後、りおなは雫に声をかけた。
「立野さん、最後の木のポーズ、とても良かったです」
「……どうも」
「最初より、ずっと呼吸が自然でした」
「別に、褒められても嬉しくないですけど」
そう言いながら、雫の頬は赤い。
りおなは少しだけ笑った。
「今日は、私と比べるのをやめた瞬間がありましたね」
「……は?」
「ほんの少しだけです。でも、ありました。あの時の立野さんは、誰かに勝とうとしているのではなくて、自分の呼吸をちゃんと聞いていました」
雫はすぐには答えなかった。
ヨガマットの上に立っていた時の感覚を、もう一度思い出す。
足の裏。
膝の揺れ。
胸の奥に入ってくる空気。
そして、和先生の声。
――君は君のままで、ちゃんと魅力があるから。
思い出した瞬間、また顔が熱くなった。
「……そんな大げさな話じゃないです」
「そうかもしれません」
りおなは穏やかに頷いた。
「でも、モデルの仕事も、ヨガも、結局は同じなのかもしれません。誰かに見られる前に、自分がどこに立っているかを知ること。今日は、それが少しだけ見えた気がしました」
「……」
「立野さんは、見られることに慣れています。でも、見られることを意識しすぎると、身体が固まる。今日の前半は、少しだけそう見えました」
「……悪かったですね」
「悪いことではありません。真剣だからです」
りおなの声は、責めるものではなかった。
「でも、最後は違いました。ちゃんと立野さん自身の呼吸になっていました」
雫は、ぷいっと横を向いた。
「……分かったようなこと言わないでください」
「はい。分かったつもりにはなりません」
りおなは、少し楽しそうに微笑んだ。
「ただ、今日の動画を見た後輩たちは、きっと思うはずです。完璧じゃなくても、揺れても、もう一度立てばいいんだって」
雫は一瞬、言葉を失った。
それは、自分がりおなから言われるとは思っていなかった言葉だった。
「……それ、私じゃなくて、りおなさんが言えばいいじゃないですか」
「私が言うより、立野さんが見せた方が届くと思います」
「なんでですか」
「揺れた人の方が、揺れる人の気持ちを分かってあげられるからです」
雫は黙った。
そして、少しだけ視線を落とす。
「……別に、誰かのために揺れたわけじゃないです」
「はい」
「勝手に、足がぐらついただけです」
「はい」
「でも……」
雫は小さく息を吐いた。
「次に誰かが同じようにぐらついてたら、少しくらいなら、見ててあげてもいいです」
りおなは目を細めた。
「それは、とても素敵なことだと思います」
「……だから、褒めないでくださいってば」
雫は顔を赤くして、足早に歩き出した。
その後ろ姿を見て、ユリシアが小さく拍手する。
「雫ちゃん、かっこいい……!」
「うるさいわね!」
雫は振り返らずに叫んだ。
けれど、その声はどこか照れくさそうで、少しだけ嬉しそうだった。
茉里絵は、そんな雫の背中を見つめながら、ほっとしたように微笑む。
そして渚先生は、和先生からもらった言葉を何度も心の中で反芻していた。
今でも時々見返してる。
肩が固い時、けっこう助かってる。先生……先生……!!
その一言だけで、私はあと4か月後の三十路突入にも立ち向かえます!!
いいえ、むしろ30歳からが本番です!!
大人の魅力で勝負です!!
未来のパートナーとして、これからも先生の健康を支えます!!(`・ω・´)💍✨
表情は、どこまでも上品な顧問の笑顔。
だが脳内は、完全にお祭り騒ぎだった。
エピローグ ユリシアの日記
今日は、まりちゃんたちのヨガ動画の撮影を見に行ったよ。
新しい夏用スポーツウェアは、すごく可愛くて、動きやすそうで、見ているだけでわくわくした。
りおな先輩は、本当に綺麗だった。
立っているだけで空気が変わるみたいで、これが全国区のモデルさんなんだなって思った。
雫ちゃんは、最初ちょっと悔しそうだった。
でも、最後の木のポーズはすごくかっこよかった。
雫ちゃんらしくて、私はすごく好きだった。
まりちゃんは、やっぱりすごい。
みんなのことをちゃんと見ていて、困っている人がいたら、そっと支えてくれる。
私も、まりちゃんみたいに優しくなりたいな。
渚先生は、顧問としてとても頼もしかった。
でも、おにいたんが昔のストレッチ動画の話をした時、渚先生のお顔が一瞬だけ、ふにゃってなった気がする。
……もしかして、渚先生って、おにいたんのことになると、けっこう分かりやすいのかな?
でも、私だって負けないもん。
おにいたんの健康のために、今度は私も一緒にヨガをしてみようかな。
そうしたら、おにいたんが笑ってくれるかもしれない。
「ユリシア、よく頑張っているね」って。
……うん。
やっぱり、明日から少しだけ練習してみよう。
チューエルの夏は、もうすぐ始まる。
新しい制服と、新しいスポーツウェアと、みんなの呼吸が重なる季節。
そして私は、今日もまた少しだけ、おにいたんの隣に近づきたいと思った。











