湖畔の花火と七つの想い ~一年後、また同じ夜空の下で~

第3学年

プロローグ 約束の続きを

一年という時間は、不思議なものだ。

変わらないものもあれば、気づかないうちに大きく変わっているものもある。

昨年の夏。

湖畔に咲き乱れる花火を見上げながら、誰かが言った。

――また来年も来よう。

そして今年。

和先生が見つけた、湖の対岸にある静かな観覧場所には、去年より二つ多い浴衣姿が並んでいた。

「お姉ちゃん、早く早く!」

「ちょっと美咲! 浴衣で走ったら転ぶわよ!」

去年は夏風邪で留守番だった美咲が、今日は雫の手を引いている。

「わぁぁ……!」

湖が見えた瞬間、美咲の目が輝いた。

「お姉ちゃん! 本当に湖全部がキラキラしてる!」

「まだ花火始まってないでしょ。はしゃぎすぎ」

そう言いながらも、雫の口元は緩んでいた。

昨年は写真でしか見せてやれなかった景色を、今年はこうして隣で見せてやれる。

それだけでも、雫には十分嬉しかった。

そして、もう一人の初参加者。

ピンク色の髪を揺らしながら、綾香が湖面をじっと見つめている。

最近の彼女は、誰にも打ち明けないまま、一つの映像を作っていた。

――今年の夏に、やってみたいこと。

サイクリング。

真夏の海。

朝焼け。

仲間たちと過ごす、何気ない時間。

まだ経験していない夏まで、先にフレームの中へ閉じ込めていた。

そして今日。

その中の一つだった「みんなで見る花火」が、本物になろうとしている。

「綾香さん、どうかしました?」

柚羽が首をかしげる。

「……いえ」

綾香は湖を見つめたまま、小さく答えた。

「想像していたより、綺麗だと思っただけです」

その瞬間――。

ひゅるるるる……。

夜空へ、一筋の光が昇った。

第1章 一年ぶりの特等席

ドンッ――!

夜空いっぱいに赤い花が咲いた。

少し遅れて、湖面にも同じ花が揺れる。

「わああっ!!」

美咲が両手を握りしめる。

「お姉ちゃん! 水の中にも花火がある!」

「ふふ。美咲ちゃん、湖の方も見てください」

そう教えたのは柚羽だった。

「去年、私も雫さんに教えていただいたんです」

昨年は初めて大勢の輪へ入り、みんなの優しさに戸惑っていた少女。

今年は美咲の隣で、一番綺麗な花火の見方を教えている。

雫はそんな柚羽を見て、ふっと笑った。

「柚羽も、ちょっとは先輩らしくなったじゃない」

「えっ……?」

「褒めてるのよ」

「……ありがとうございます」

柚羽の頬が嬉しそうに染まった。

「まあ」

茉里絵が口元に手を添える。

「雫さんも、すっかりお姉様ですわね」

「元々お姉ちゃんなんだけど!」

その証拠のように、美咲が雫の腰へぎゅっと抱きついた。

「お姉ちゃん、大好き!」

「ちょっ……暑いからくっつかないで!」

そう言いながら、振りほどこうとはしない。

「良かったな、雫」

和先生が穏やかに笑った。

「去年は美咲ちゃんに見せてあげられなかったからね。今年こうして二人で笑ってるのを見ると、来た甲斐があったよ」

「……うん」

素直な返事が口から出て、自分でも少し驚く。

和先生がまた笑った。

「ごめん、ごめん。でも、去年より素直になったなと思ってね。先生としては、そういう変化を見るのも嬉しいものなんだよ」

「……うるさい」

雫の頬が赤くなる。

ほんの数週間前。

夜の海で聞いた言葉が蘇った。

――これまで何年も、雫を見てきたからね。

あの人は、本当に見ている。

自分が思っているより、ずっと前から。

「別に……普通に返事しただけでしょ」

ぷいっと顔を逸らす雫。

でも、その口元は少しだけ笑っていた。

全員で色とりどりの花火を見上げる場面

第2章 それぞれが見つけた「隣」

やがて、打ち上げが一度途切れた。

湖面に静けさが戻る。

ユリシア
ユリシア

おにいたん♡

待ってましたとばかりに、ユリシアが和先生の腕へ抱きついた。

ユリシア
ユリシア

今年も一緒に見られたね!

和先生
和先生

ユ、ユリシア……みんな見てるから

ユリシア
ユリシア

いいの♡

ぎゅっ。

さらに密着する。

そんな二人を見て、渚先生の眉がほんの少しだけ動いた。

渚

ユリシアさん

ユリシア
ユリシア

はい?

渚

和先生が歩きにくそうですから、もう少しだけですね……

声は穏やかだ。

昨年とは違う。

あの頃の渚は、和先生の隣に立てるだけで嬉しかった。

けれど昨年の秋を境に、二人の関係は確かに前へ進んだ。

ただ想い続けるだけではない。

これから先の人生を、互いに支え合って歩いていく。

そんな未来を、二人は少しずつ現実のものとして考え始めている。

だから、以前のように一つ一つの光景へ不安になる必要はない。

……ない、はずなのだけれど。

ユリシア
ユリシア

おにいたん、あっち見て♡

ユリシアがさらに腕を絡める。

渚のこめかみが、ぴくり。

渚

ユリシアさん?

ユリシア
ユリシア

はーい♡

茉里絵がくすりと笑った。

茉里絵
茉里絵

渚先生、昨年よりずいぶん余裕がおありですわね

渚

そ、そう見えます?

茉里絵
茉里絵

ええ。表情以外は

渚

……!

雫

……プッ!

雫が吹き出す。

渚

雫さんまで!💦

けれど。

ユリシアにもまた、昨年とは違うものがあった。

七月。

和先生と二人で過ごした、湖畔の夜。

星空よりもずっと近くにいた、大好きな人。

あの日もらった言葉は、今も胸の奥に大切にしまってある。

だから、誰かを押しのけなければ自分が消えてしまうような不安は、以前より少しだけ小さくなった。

それでも――。

「でも、おにいたんの隣は譲らないもん♡」

「結局そこは変わらないのね」

雫が呆れる。

「当然だよぉ♡」

一同から笑い声が上がった。

少し離れたところで茉里絵も、その光景を穏やかに見守っていた。

好きな人を想う気持ちは、今も変わらない。

けれど誰か一人だけが笑う未来より、友人たち全員がそれぞれの幸せを見つけられる未来を願えるようになった。

それもまた、この一年で彼女の中に咲いた、新しい花だった。

花火の合間、和先生を中心に七人が賑やかに過ごす場面

第3章 フレームのむこうがわ

「綾香さん、撮らないんですか?」

柚羽が尋ねた。

綾香の手にはスマートフォンがある。

浴衣。

湖。

提灯。

大切な人たち。

この景色なら、映像素材としては申し分ない。

綾香は画面越しに、みんなを眺めた。

和先生にくっつくユリシア。

その様子に少し呆れている雫と、姉へ甘える美咲。

扇子を手に笑う茉里絵。

去年より少し頼もしくなった柚羽。

そして和先生のそばに、ごく自然に立つ渚先生。

画面の中では、完璧な夏の一場面だった。

けれど。

綾香は録画ボタンを押さず、スマートフォンを下ろした。

「……やっぱり、今はいいです」

「いいんですか?」

「はい」

少し考えてから、

「映像に残す前に、自分で覚えておきたいので」

と言った。

その言葉は、綾香自身にも少し意外だった。

「それでいいんじゃないかな」

和先生の声がした。

綾香が振り返る。

「写真や動画はあとで何度でも見返せるけど、その時の風とか匂いとか、隣で誰が笑っていたとか……そういうものは、自分の中にしか残らないからね」

和先生は湖の方へ目を向けた。

「僕くらいの歳になると、昔の出来事って、映像よりそういう細かいことの方をよく覚えてたりするんだよ」

綾香は、一瞬黙った。

「……そういうものですか」

「そういうものだよ」

それなら。

今はちゃんと、自分の目で見よう。

風の匂いも。

浴衣の袖が触れる感触も。

誰かの笑い声も。

映像には全部、入らない。

「……悪くありませんね」

「何が?」

「みんなで夏を過ごすのも、です」

和先生が笑う。

「うん。きっと、あとになって大事だったって分かるよ」

綾香の頬が、ほんの少し赤くなった。

「……覚えておきます」

誰にも知られていない彼女の映像。

そこに描いていたのは、

「こんな夏になったらいいな」

という、小さな願いだった。

でも今。

フレームのむこうがわにあった夏が、一つずつ現実になり始めている。

📷

第4章 七つの想い

再び、夜空へ光の筋が昇った。

一つ。

二つ。

そして、数え切れないほど。

ドドドドドンッ――!!

巨大な水中花火が、湖面いっぱいに咲いた。

「すごーーーい!!」

美咲の歓声。

「綺麗……」

柚羽が静かに呟く。

その横顔を見て、雫は笑った。

去年、自分たちが見た景色を。

今年は妹と、後輩と、新しい仲間と見ている。

茉里絵は、七人の姿をそっと見渡した。

恋も。

友情も。

まだ名前のつかない気持ちも。

全部抱えたまま、こうして一緒に笑える。

それが嬉しかった。

渚は和先生の隣に立つ。

昨年は、そこに立てるだけで胸がいっぱいだった。

今は少し違う。

この場所を、いつか特別ではなく、当たり前にしたい。

焦らず。

二人で。

ユリシアは夜空を見上げながら、そっと和先生を見る。

七月に二人で見た星空とは違う光。

でも隣にいる人は同じ。

だから嬉しい。

そして雫。

首元には、自分で用意した白いストール。

去年、和先生から渡されたものと同じような温かさに包まれながら、一度だけ横を見る。

視線が重なった。

去年なら、慌てて逸らした。

けれど今年は――。

一秒。

二秒。

三秒。

雫は、ほんの少し笑った。

「……何よ」

「いや」

和先生も小さく笑う。

「今年も楽しそうで良かったと思って」

「……そ」

それだけ。

でも、それで十分だった。

七月の日記に書いた。

今年も、和先生の隣で花火を見たい。

完全な隣ではないかもしれない。

美咲もいる。

ユリシアもいる。

渚先生も、茉里絵も、柚羽も、綾香もいる。

でも。

一人だけの思い出じゃないからこそ、大切になる夜もある。

そして綾香は、ついに分析することをやめていた。

光量も。

反射率も。

構図も。

今はただ、夜空を見上げている。

「……綺麗」

それだけでいい。

七人の胸にあるものは、それぞれ違う。

恋。

憧れ。

友情。

家族への愛情。

信頼。

まだ自分でも説明できない想い。

そして、大切な人たちと一緒にいられることへの感謝。

花火はそのすべてを区別することなく、

同じ光で照らしていた。

湖面いっぱいに咲く水上花火と、それを見つめる全員

エピローグ 来年のフレーム

最後の花火が消えた。

煙がゆっくりと流れ、夜空に星が戻ってくる。

「終わっちゃった……」

美咲が寂しそうに呟いた。

「また来ればいいじゃない」

雫が言った。

去年と同じ言葉。

けれど今年、三年生たちにとって「来年」は少し特別だった。

卒業すれば、今と同じ毎日はもう続かない。

教室も。

制服も。

生徒と教師という距離も。

少しずつ変わっていく。

みんなが黙ったことに気づいて、和先生が口を開いた。

「来年は、今日とまったく同じ立場の八人ではないかもしれないね」

三年生たちが振り返る。

「卒業すれば生活も変わる。新しい友達もできるし、忙しくなって、簡単に予定が合わなくなることもある」

少し寂しい言葉なのに、和先生の表情は穏やかだった。

「でも、それでいいんだよ。みんなが前へ進んでいる証拠だから」

そして、いつものように笑う。

「それでもまた集まりたいと思った時に、こうして集まれたらいい。先生は、そのくらいの約束が一番長く続くと思ってる」

一瞬の静寂。

「……じゃあ」

ユリシアがぱっと笑顔になる。

「来年も集合ね! おにいたん♡」

「話聞いてた?」

「聞いてたよぉ♡ 『来年もユリと花火を見たい』って」

「そんなこと言ってない!」

「まあ♡」

「都合よく変換しすぎでしょ💢」

「ふふっ」

笑い声が湖畔に広がった。

その時。

綾香がスマートフォンを取り出す。

「皆さん、写真を撮ります」

タイマーを設定し、少し離れた場所へ置く。

「あと十秒です」

「美咲、もっとこっち!」

「ユリシアさん、和先生にくっつきすぎですっ!」

「おにいたんの隣だもん♡」

「ユリシアさん?」

「渚先生、顔怖いですよ」

「雫さん!?」

「あと五秒です!」

「えっ、ちょっと待って――」

カシャッ。

完璧とは程遠い写真だった。

誰かは笑いすぎていて。

誰かは怒っていて。

誰かは照れている。

綾香は画面を見つめた。

「……悪くありませんね」

「見せて見せて!」

美咲たちが集まってくる。

綾香は写真を見せながら、胸の中でそっと思った。

――この一枚を、あの映像に入れよう。

「今年の夏にやってみたいこと」ではなく。

今年の夏に、本当にできたこととして。

もちろん、そのことはまだ誰にも言わない。

湖の向こうで、遅れて小さな花火が一輪。

ぽん、と夜空に咲いた。

まるで、

「また来年」

と約束するように。


湖畔に集まった八人を振り返れば、
この一年で、いろんなものが変わっていた。

想いも。
距離も。
関係も。
そして、それぞれの心も。

それでも――。

来年もまた、この人たちと同じ空を見たい。

形は違っていても、きっと誰もが胸のどこかで、そう願っていた。

その気持ちだけは、今年も変わらなかった。

湖畔の花火と五つの想い ~夏の夜に咲く恋の花~(2025花火大会)(第2学年編・11)
第1章:浴衣姿の乙女たち夏の夕暮れ、チューエル淑女養成学院の正門前には、色とりどりの浴衣に身を包んだ女性たちが集まっていた。ユリシアおにいたん♡、お待たせ!水色...