1.で、次は何をすればいいの?
十月最初の土曜日。
午前十時すぎ。
久しぶりに実家へ戻った雫は、居間の座布団に座ったまま、難しい顔で腕を組んでいた。
向かいでは、美咲がテレビを見ながらスナック菓子を食べている。
「…………美咲」
「なに?」
「相談がある」
「また恋愛?」
「“また”って言うな!」
「他にあるの?」
「進路とか! 仕事とか!」
「じゃあ進路?」
「…………」
「仕事?」
「…………」
「恋愛じゃん」
「うるさい!」
開始十五秒で敗北した。
雫は腕を組み直す。
「……この前、ちゃんと『ありがとう』って言ったでしょ。『別に』なしで」
「うん。成長記録つけてる」
「小学六年生に成長記録つけられる高校三年生って何なのよ!」
美咲はくすくす笑った。雫は頬を膨らませたが、すぐに小さく息を吐く。
「問題はその先なの。次、何すればいいのよ」
「次?」
「告白なんてできるわけないでしょ。先生と生徒だし、渚先生もユリシアもいるのに!」
「うん」
「デートに誘うのも無理だし、お弁当はもう一回やったし!」
「うん」
「じゃあ何すればいいのよ!」
美咲はぱりっとスナック菓子を食べて、少し考えた。
「……分かんないんだね」
「…………」
図星だった。
雫は膝を抱え、顎を乗せる。
「だって、ちゃんとやったことないし。和先生には昔から喧嘩ばっかり売ってたし……今さら何すればいいのか、分かんないのよ」
少しだけ声が小さくなる。
「……失敗したくないし」
美咲はしばらく姉を眺めて、小学六年生らしからぬため息をついた。
「しょうがないなあ。だったら、おじちゃんのこと、もうちょっと知ればいいじゃん」
「和先生のこと?」
「私、結構知ってるよ。お姉ちゃんより知ってることもあるかも」
「…………は?」
嫌な予感がした。
2.妹が知っている和先生
「ちょっと待ちなさい。ミカの話をチャットでしてるのは知ってるわよ。でもそれだけでしょ?」
「それだけじゃないよ」
美咲はあっさり言った。
「コンビニとか、本屋さんとか、行ったし」
「……二人で?」
「うん」
「チャットは知ってたけど、外でまで!? 聞いてない!」
「言ってないもん」
「なんで言わないのよ!」
「なんで報告しなきゃいけないの!?」
美咲の方が驚いていた。
「近所だし、普通だよ? 例えばコンビニ。おじちゃんがうちに来た帰りに『コンビニ寄って帰る』って言うから、私もついて行ったの」
「それで?」
「ノートとペン買って、帰ろうとしたらアイス食べたくなって。チョコといちごとクッキーで、ずっと迷ってたの」
「…………」
「そしたらおじちゃんに『美咲ちゃん、さっきから同じ三つをずっと見てるね』って言われて」
美咲は思い出し笑いをした。
「『どれがいいと思う?』って聞いたら、『今日はチョコにして、いちごは次にしたら?』って」
「…………」
「だから『じゃあ次も一緒に来てくれる?』って聞いたら、『構わないよ』って」
「ちょっと待って。“次も”って、そのあとも行ったの!?」
「うん」
「何回!?」
「覚えてない」
「覚えてないくらい行ってるの!?」
「コンビニだよ? 十分くらいだよ?」
「時間の問題じゃないの!」
「じゃあ何の問題?」
「…………」
雫は詰まった。自分でもよく分からない。ただ、ものすごく悔しい。
「……他には?」
「本屋さん。『鋼鉄天使ミカ』の公式ガイドブックの発売日に、おじちゃんも買うって言うから一緒に行ったの。お店によって特典が違ってね」
「知らないわよ」
「大事なんだよ!」
「そこだけ急に本気になるな!」
「普通に買おうとしてたから、私が教えてあげたの。『こっちのお店なら限定しおり付くよ』って」
美咲は声色を変えて、和先生の真似をした。
「『本当だ。危なかった……普通に買うところだった』」
「……何やってんのよ、あの人」
「『助かりました、美咲先生』って言われたから、私は『よろしい』って言っといた」
雫は額に手を当てた。
なんなのだろう、この二人は。妙に息が合っている。
「ミカの話ならまあ、私だって嫌いじゃないわよ。でも特典まで追うのは別の病気よ」
「お姉ちゃんも結構詳しいじゃん」
「うるさい。……あとは?」
「去年の夏に、渚先生と歩いてたモールあるでしょ?」
「パオン・ハッピーモール? ユリシアが言ってたやつね」
「そこの三階のフードコートで、たこ焼き食べた」
「…………」
雫が止まった。
コンビニ。まだ分かる。本屋。趣味が同じだから分かる。
でも、モールで。フードコートで。たこ焼き。
急に、ものすごく“お出かけ感”が増した。
「……どんな感じだったのよ」
「普通。最初の一個、熱かったけど」
「知らないわよ!」
「そのまま食べて『熱っ!』ってなったら、おじちゃんが『だから気をつけてって言ったのに』って。自分のは半分に割って冷ましてたの」
「……和先生らしいわね」
「『ずるい』って言ったら、『知恵と言ってほしいな』だって」
雫は思わず吹き出した。
「何よ、それ」
「でしょ?」
二人で笑う。
そして、雫はふと真顔になった。
「……あんたたち、普通に仲良すぎない!?」
「そう?」
「そうよ! 私が和先生とそんなに自然に話せるようになるまで、どれだけかかったと思ってんのよ!」
「うん」
「一年生の頃なんて顔合わせるたびに喧嘩して、ちょっと優しくされたら、そのあと一人で何時間も悩んで! それなのにあんたは、コンビニでアイス選んで、たこ焼き食べて!」
「だって、普通に誘えばいいじゃん」
「できたら苦労してないわよ!!」
雫は肩を落とした。
「……なんでそんな普通にできるのよ」
美咲は少し考えて、本当に何でもないことのように言った。
「だって、おじちゃんと一緒にいると楽だもん」
「…………」
ぐさっ、と何かが刺さった。
「……今、一番聞きたくない言葉を聞いた気がする」
「なんで!?」
「知らないわよ!」
(……でも)
雫は、膝の上でそっと手を握る。
私が家のことを話したあの時。
和先生も、自分のことを話してくれた。
子供の頃、工場で働いていたこと。
お人好しで、厄介ごとまで抱え込んでしまったこと。
同じような話を、ほかの誰かにしたことだってあるのかもしれない。
……いや。
誰が何を知っているかなんて、たぶん大した問題じゃない。
私には私の、和先生との時間がある。
「…………私だって、ちゃんと積み重ねてきたし」
誰にともなく小さく呟いて。
雫は、ほんの少しだけ機嫌を直した。
3.今度は、近所じゃない
「でもさ、分かった」
美咲が急に人差し指を立てた。
「お姉ちゃんが次に何すればいいか」
「……何よ」
「おじちゃんのこと、もっと知ればいいんだよ。私が調べてあげる」
「どうやって」
「ちょうどいい予定があるから。明日の日曜日、おじちゃんと『鋼鉄天使ミカ』のグッズ即売会に行くの」
「…………」
雫の顔から、表情が消えた。
「……二人で?」
「うん。今度は近所じゃなくて、電車でイベント会場まで行くよ。そのあとお昼も食べる予定」
雫は、ゆっくりと両手を床についた。
そして、大きく息を吸う。
「さっきまでのコンビニと話が違うじゃない!!」
「ええっ!?」
「何よ二人で電車でグッズ即売会でお昼って! 聞いてない!」
「だって、おじちゃん、お姉ちゃんにはLINEしたって言ってたよ?」
「…………え?」
雫はスマートフォンを取り出した。
昨夜二十一時四十分。和先生からの未読メッセージ。
『日曜日、美咲ちゃんと鋼鉄天使ミカのイベントへ行く約束をしています。私が付き添いますが、大丈夫でしょうか。電車移動になりますが、夕方までには必ず送り届けます。』
昨夜は疲れて、通知を見ないまま寝てしまっていた。
「…………来てた」
「ほらね」
「寝ちゃってただけよ! 無視したんじゃないわよ!」
立野家に、本日最大の悲鳴が響いた。
美咲は耳を塞ぎながら、いたずらっぽく笑う。
「じゃあ、ちゃんと調べてきてあげる。おじちゃんがどんな人を好きなのか」
「ちょっと……」
「どういう人といると楽しいのか」
「ちょっと!」
三本目の指が立つ。
「あと、お姉ちゃんのこと、どう思ってるのか」
「ちょっと待ちなさい!!」
雫が飛び起きた。
「小学六年生が自然に聞ける内容じゃないわよ!」
「じゃあ社会勉強ってことにする」
「便利に使うな!」
「任せて」
「任せられるかぁぁぁ!!」
美咲は満足そうにお菓子をつまんでいる。
雫は、むくれたまま和先生のメッセージ画面に戻った。
返信欄に、指が動く。
『別に』
打ちかけて、消した。
『未読でごめんなさい。美咲のこと、お願いします。』
送信しかけて、指が止まる。
少し迷って、もう一行足した。
『……ちょっとだけ、うらやましいです。』
送信。
画面を伏せた雫に、美咲がにやりと笑って親指を立てた。
「えらい」
「うるさい!!」


