第3話 わたくしを、わたくしとして

女子六人、夏の海へ。和先生には内緒の一泊二日第3学年

「……茉里絵?」

後ろから聞こえた声に、茉里絵は振り返った。

「はい?」

そこには、タオルを肩に掛けた雫がいた。

海で散々遊んだあと。

六人は昼食をとるため、砂浜から宿へ戻るところだった。

茉里絵はいつものように微笑んでいる。

けれど、その両腕には大きなバスタオルが抱えられていた。

肩に掛けるのではなく。

身体の前へ寄せるように、ぎゅっと。

雫はその姿を数秒見つめた。

「……何でもない」

それだけ言うと、茉里絵の隣へ並ぶ。

何も聞かない。

何も指摘しない。

ただ、それまでより少しだけ歩調を落として。

茉里絵と同じ速さで歩いた。

「…………」

茉里絵は横目で雫を見る。

やがて、小さく微笑んだ。

「ありがとうございます、雫さん」

「何が?」

「いえ。何でもありませんわ」

今度は雫が茉里絵を見る番だった。

けれど。

「……そ」

それ以上は何も言わなかった。


宿に戻ると、昼食には海辺らしく魚介の料理が並んでいた。

「わぁぁ……!」

ユリシアが目を輝かせる。

「お刺身いっぱい!」

「ユリシア先輩、こっちのお魚も美味しそうですよ!」

柚羽もすっかり上機嫌だった。

「お昼から豪華ねぇ」

綾香が箸を取り、

「学院の補助制度、侮れないわね」

雫も満足そうに頷く。

「皆さん」

渚先生だけはまだ教師の顔を崩さない。

「午後も海へ出るのですから、食べすぎてすぐ泳ぐようなことはしないでくださいね」

「はーい!」

五人の返事が重なった。

茉里絵も、その輪の中で笑っていた。

楽しい。

本当に楽しい。

こんなふうに大勢で食卓を囲んで。

くだらないことで笑って。

誰が最後の一切れを食べるかでもめて。

「それ、私が狙ってたの!」

「雫ちゃん、早い者勝ちだよぉ♡」

「ユリシアー!💢」

そんな二人を見ながら、みんなで笑う。

茉里絵の家の食卓では、まず見ることのない光景だった。

だから。

今日という日を、心から楽しみたい。

そう思っているのに。

ふとした瞬間。

さっきまで身体の前に抱えていたタオルを思い出してしまう。


昼食後。

休憩を兼ねて、六人は宿の前にある海沿いの遊歩道を散歩することになった。

まだ真昼の陽射しは強い。

けれど、海から吹く風は少しだけ心地よかった。

「まりちゃん!」

先を歩いていたユリシアが振り返る。

「写真撮ろうよ!」

「写真、ですの?」

「うん! せっかく海に来たんだもん!」

「いいですね!」

柚羽も賛成する。

綾香がスマートフォンを取り出した。

「じゃあ私が撮るわよ。ユリシア、もうちょっとそっち」

「はーい!」

茉里絵は、無意識に一歩後ろへ下がった。

すると。

「茉里絵」

雫の声がした。

「そんな後ろにいたら見切れるじゃない」

「え?」

「ほら」

雫が何気なく茉里絵の腕を引く。

「ここ」

連れてこられたのは、みんなの真ん中だった。

「わ、わたくしが中央ですの?」

「別にいいでしょ?」

「でも……」

「まりちゃん、早く早く!」

ユリシアが隣から笑う。

柚羽も反対側へやってきた。

「茉里絵先輩、こっち向いてください♪」

「……はい」

綾香がスマートフォンを構える。

「撮るわよー」

茉里絵は、少しだけ身構えた。

――きちんとしなければ。

姿勢を整えて。

角度を考えて。

なるべく――。

「茉里絵」

また、雫だった。

「はい?」

「今、変なこと考えてるでしょ」

「……!」

「普通に笑えばいいのよ」

「普通に……?」

「そう」

雫は肩をすくめた。

「今日くらい」

その瞬間。

「まりちゃーん♡」

反対側からユリシアが身体を寄せてきた。

「きゃっ!?」

思わず茉里絵が声を上げる。

集合写真、ユリシアの不意打ちハグで撮れた1枚

ぱしゃっ。

「あ」

綾香がシャッターを切った。

「ちょっとユリちゃん!」

「あはははっ!」

「もう……!」

茉里絵もつられて笑った。

ぱしゃっ。

もう一枚。

今度は。

誰にも言われなくても、自然に笑えていた。


散歩を終え、午後の海へ戻る頃。

茉里絵はまた、タオルを手にしていた。

けれど、今度は身体を隠すようには持っていなかった。

ただ普通に、肩へ掛けている。

それを見た雫は何も言わない。

しかし茉里絵の方から声をかけた。

「……雫さん」

「ん?」

「少し、お話ししてもよろしいかしら」

「いいけど」

二人は、みんなから少し離れた日陰へ腰を下ろした。

海ではユリシアと柚羽が何かをしている。

渚先生が二人へ注意を飛ばしている声も聞こえる。

茉里絵はしばらく海を眺めていた。

そして。

「わたくし……昔から、自分の体型が――特に、この胸のことが、好きではありませんでしたの」

雫は何も挟まなかった。

「……もっとも、雫さんにはとっくにお見通しでしたわね。前に、その……『牛乳女』などと」

「覚えてるわよ、それくらい」

「忘れていてくださっても、よろしかったのに」

「別に。忘れる理由もないでしょ」

日陰で体型への悩みを雫に打ち明ける茉里絵

そっけない答えに、茉里絵は小さく笑った。

「服を選ぶ時も。人前へ出る時も。何をしていても、まずそこを気にしてしまって」

普段の服装なら。

目立たないよう工夫することもできる。

けれど学院指定の水着では、それにも限界がある。

今回の旅行が決まった時から。

楽しみと同じくらい、不安もあった。

「せっかく皆さんと海へ来たのに……こんなことばかり考えている自分が、少し嫌になりますわ」

「…………」

「おかしいですわよね?」

雫が眉をひそめた。

「何がおかしいの?」

「え?」

「嫌なものは嫌なんでしょ」

あまりにもあっさりしていた。

「だったら仕方ないじゃない」

「でも……」

「無理に好きになる必要までないと思うけど」

茉里絵が雫を見る。

雫は海を向いたままだった。

「自信持てとか、気にするなとか言われても、そんな簡単じゃないでしょ」

「……はい」

「私だって似たようなものよ」

「雫さんが?」

「あるわよ。いくらでも」

仕事では自信満々に見せる。

カメラの前では完璧に振る舞う。

でも。

それと、自分に本当に自信があることは別だ。

さっき柚羽に見せられた、あの写真。

計算もしていない。

整ってもいない。

それでも笑っている自分。

「だからさ」

雫は茉里絵を見る。

「今日一日で全部好きになろうとか、そんなこと考えなくていいんじゃない?」

「…………」

「嫌ならタオル持ってればいいし。隠したければ隠せばいい。別に誰も怒らないわよ」

茉里絵は目を伏せた。

「でも」

雫が続ける。

「さっき私が気になったのは、茉里絵の身体じゃないからね」

「え?」

「あんたがいつもの顔して笑ってるくせに、全然楽しそうじゃなかったから」

茉里絵の瞳が、少し大きくなる。

「それが気になっただけ」

「…………」

「だから隣歩いたの」

その言い方があまりにも雫らしくて。

茉里絵は、思わず笑ってしまった。

「ふふっ……」

「何よ」

「いいえ」

茉里絵は目元をそっと押さえた。

「雫さんは、本当にお優しい方ですわね」

「やめてよ。気持ち悪い」

「まあ!」

「ほら、そういう顔してる方が茉里絵らしいじゃない」

二人は顔を見合わせた。

そして同時に笑った。


「まりちゃーん!」

遠くからユリシアの声がする。

「来てー!」

「どうなさいましたの?」

茉里絵と雫が近づいていくと。

波打ち際で柚羽が困った顔をしていた。

その前には、小さな女の子が一人。

泣いている。

「どうしたの?」

雫が尋ねる。

「迷子みたいなんです」

柚羽が答えた。

「お母さんが見つからないって……」

「まあ……」

茉里絵はすぐに女の子の前へしゃがんだ。

「こんにちは」

女の子が涙の浮かんだ目で茉里絵を見る。

「怖かったですわね」

声を落として。

急かさず。

いつもの上品な微笑みを向ける。

「でも大丈夫ですわ。先生もおりますし、みんなでお母さまを探しましょう」

女の子は何も言わない。

茉里絵はさらに優しく尋ねた。

「お名前を教えていただけますか?」

しばらくして。

小さな声が返ってきた。

茉里絵は一つずつ話を聞く。

名前。

母親の服装。

どこで最後に会ったか。

そこからは渚先生が動いた。

海の家へ連絡し、場内放送を頼む。

雫と綾香は周囲を確認。

ユリシアと柚羽は女の子が不安にならないよう、一緒に待った。

そして茉里絵は。

ずっと女の子の隣にいた。


「いた!」

十分ほどして。

こちらへ駆けてくる女性の姿が見えた。

「お母さん!」

女の子が走り出す。

母親はその子を強く抱きしめた。

「よかった……!」

何度も頭を下げる母親へ、渚先生が応対している。

やがて女の子が、もう一度茉里絵のところへやってきた。

「お姉ちゃん」

「はい?」

「ありがとう」

そして。

「お姉ちゃん、すごく優しかった」

それだけ言うと、母親のもとへ戻っていった。

「…………」

茉里絵は、その後ろ姿を見送った。

「まりちゃん」

隣にユリシアが立っている。

「すごいね」

「何がですの?」

「だって、あの子、まりちゃんと話してからすぐ泣き止んだもん」

柚羽も頷く。

「茉里絵先輩って、話してると安心するんですよね」

「それ分かる」

綾香まで加わった。

「なんというか……ちゃんと話を聞いてくれるっていうか」

「…………」

雫が腕を組んだ。

「ほらね」

「え?」

「みんな茉里絵のこと、ちゃんと見てるじゃない」

その一言で。

さっきまでの雫との会話が、茉里絵の中でつながった。

自分がずっと気にしていたもの。

人からどう見られているのか。

そればかり考えていた。

けれど。

今日、一番最初に友人たちが気づいたのは。

自分がタオルで何を隠していたかではなく。

自分が心から笑えていなかったことだった。

迷子の女の子が見つけてくれたのも。

自分が嫌っている部分ではない。

「優しいお姉ちゃん」。

ただ、それだけだった。

「……そうでしたのね」

茉里絵が呟く。

「ん?」

ユリシアが首を傾げる。

「いいえ」

茉里絵は笑った。

今度は。

いつもの令嬢らしい完璧な微笑みではなく。

少しだけ目を細めた、自然な笑顔だった。

「何でもありませんわ♡」


午後。

六人はもう一度、海へ入った。

茉里絵はタオルをレジャーシートの上へ置いた。

完全に気にならなくなったわけではない。

たぶん明日になれば、また気になる。

学院へ帰れば。

服を選ぶ時に、また悩むかもしれない。

それでいい。

今日一日で、全部変わる必要なんてない。

「まりちゃーん!」

「早くー!」

海の中からユリシアと柚羽が手を振っている。

「茉里絵! ぼーっとしてると置いてくわよ!」

雫まで叫んでいる。

「今参りますわ!」

茉里絵は走り出した。

波打ち際へ。

友人たちのところへ。

途中で、ふと立ち止まる。

振り返ると。

砂浜には、自分が置いてきたタオルがあった。

茉里絵はそれを数秒眺めた。

そして。

そのまま海へ向かって走った。

タオルを置いたことそのものが、大切なのではない。

必要になれば、また使えばいい。

ただ今は。

隠れるためではなく、遊び終わったあと身体を拭くために、そこへ置いておきたかった。

それだけだった。

「ユリちゃん!」

「まりちゃん、遅ーい!」

「今行きますわ!」

ざぶんっ。

波の中へ飛び込む。

「きゃっ!」

「まりちゃん!?」

「ふふふっ!」

いつもより少し大きな茉里絵の笑い声が、夏の海へ響いた。


そして。

その少し離れたところで。

「…………」

綾香が一人、海を眺めていた。

少し離れた場所から、みんなを眺める綾香

ユリシアと雫が騒いでいる。

柚羽が笑っている。

茉里絵まで、さっきよりずっと楽しそうにしている。

夏の海。

友達。

くだらない笑い声。

去年までなら。

こんな景色の中に、自分がいるなんて想像もしなかった。

「……私、本当に来たんだ」

綾香が小さく呟く。

その声は。

誰にも聞こえなかった。

けれど。

口元には、確かな笑みが浮かんでいた。

――第4話へ続く。