第4話 フレームの中の夏

女子六人、夏の海へ。和先生には内緒の一泊二日第3学年

「……私、本当に来たんだ」

綾香が小さく呟いた。

目の前には、夕方へ傾き始めた夏の海。

少し離れた波打ち際では。

「ユリシア! そっち行った!」

「分かってるよぉ!」

「わあっ、雫先輩! こっちですっ!」

「柚羽、それ私じゃなくて茉里絵の方!」

「まあ!?」

ばしゃんっ!

盛大な水しぶきとともに、四人の笑い声が聞こえてくる。

少し前まで。

あの景色は、自分にとって「見るもの」だった。

誰かが笑って。

誰かがふざけて。

どうでもいいことで大騒ぎして。

そんな青春らしい時間を。

自分は、いつも少し離れたところから眺めていた。

羨ましいと思ったこともある。

でも。

だからといって、自分からその輪へ入っていく方法も分からなかった。

「…………」

綾香は膝を抱えたまま、海を見つめる。

その時。

「綾香ちゃーん!」

聞き慣れた声が飛んできた。

「?」

顔を上げる。

ユリシアが、両手を大きく振っている。

「何してるのー! 早く来てー!」

「……私?」

「綾香ちゃん以外に誰がいるのー!」

その横で雫が叫んだ。

「早くしなさいよ! 人数足りないんだから!」

「人数?」

綾香が眉を寄せる。

柚羽が両手で丸いものを抱えながら走ってきた。

ビーチボールだった。

「三対三で勝負することになったんです!」

「……三対三?」

綾香はみんなを数える。

ユリシア。

雫。

茉里絵。

柚羽。

自分。

そして――。

「私も参加するのですか?」

渚先生が、一番驚いた顔をしていた。

「当然でしょ!」

雫が即答した。

「六人いるんだから!」

「私は引率者なのですが……」

「渚先生が一番運動できるじゃん!」

ユリシアまで加勢する。

「それはそういう問題では――」

「先生、お願いしますっ!」

柚羽が両手を合わせる。

「うっ……」

渚先生が言葉に詰まった。

「…………」

五人の視線が集まる。

やがて。

「……分かりました」

渚先生はため息をついた。

「ただし、無茶はしないこと。水分補給も忘れないこと。それから――」

「わーい!」

「まだ話は終わってません!」

綾香は思わず吹き出した。

「ふふっ……」

「あ」

ユリシアが綾香を見る。

「綾香ちゃん、笑った」

「え?」

「なんでもなーい♡」

「何よ、それ」

そう言いながら。

綾香は立ち上がった。


チーム分けは、じゃんけんで決まった。

ユリシア、柚羽、渚先生。

対して。

雫、茉里絵、綾香。

「ちょっと待ちなさいよ!」

組み分けを見た雫が抗議する。

「何ですか?」

渚先生が首を傾げた。

「そっちに体育教師がいるの、反則じゃない!?」

「じゃんけんで決めたでしょう」

「戦力差ってものがあるでしょ!」

「雫さん」

茉里絵が優雅に微笑む。

「勝負は始まる前から諦めてはいけませんわ」

「そういう精神論じゃないのよ!」

綾香は横で肩をすくめた。

「まあ、いいじゃない。遊びなんだから」

すると。

雫がゆっくり綾香を見る。

「……綾香」

「何よ」

「今、遊びって言った?」

「言ったけど」

「私は勝負だと思ってるんだけど」

「…………」

雫の目が本気だった。

「面倒くさ……」

「聞こえたわよ!」

「さあ、始めますわよ」

茉里絵が楽しそうにボールを持った。


最初の数分間は、意外にも接戦だった。

「柚羽!」

「はいっ!」

ぽーん。

柚羽が受けたボールをユリシアへ。

「えいっ!」

ユリシアが思い切り打ち返す。

しかし。

「甘い!」

雫が綺麗に拾った。

「綾香!」

「はいはい!」

綾香が受け、

茉里絵へ。

「参りますわ!」

ぽーん。

優雅なフォームから放たれたボールが、綺麗な弧を描く。

「先生!」

「任せてください!」

渚先生が踏み込んだ。

そして。

ばしぃぃんっ!!

「…………」

五人が固まった。

ビーチボールは。

空高く。

ものすごい勢いで飛んでいった。

渚先生の全力スパイクで、ボールが空高く飛んでいく瞬間

「…………」

「…………」

「…………」

ぽーん。

ぽーん。

ぽーん。

小さくなっていく。

「……渚先生」

雫が呟く。

「はい」

「ビーチボールですよ?」

「……はい」

「バレーボールじゃないですよ?」

「……はい」

渚先生の頬が赤くなる。

「ち、力加減を少し……」

ユリシアが海の向こうを指差した。

「先生! ボール流されてる!」

「ええっ!?」

次の瞬間。

「私が取ってきます!」

マッスル渚が猛然と海へ走り出した。

「速っ!」

綾香が思わず叫ぶ。

「先生、本気だ!」

柚羽まで驚いている。

「あれ、泳いで追いつくつもり!?」

雫が目を丸くする。

茉里絵だけが、

「さすが渚先生ですわ……」

と妙に感心していた。

そして。

数十秒後。

ボールを片手に掲げて戻ってくる渚先生の姿を見た瞬間。

綾香は耐えられなくなった。

「あはっ……」

「?」

「あははははっ!」

声を上げて笑った。

お腹を押さえて。

目に涙が浮かぶくらい。

「ちょっ……何よあれ……!」

雫も吹き出した。

「ビーチボール一個に本気出しすぎでしょ!」

「あはははっ!」

ユリシアも笑う。

柚羽も。

茉里絵も。

そして戻ってきた渚先生まで、最初は困った顔をしていたのに、やがて一緒に笑い始めた。

「もう……皆さん、笑いすぎです!」

その言葉で。

また全員が笑った。

何がおかしいのか。

途中から分からなくなっていた。

でも。

それがまた、おかしかった。


「疲れたぁ……」

しばらくして。

六人は海の家のテーブルを囲んでいた。

目の前には、色とりどりのかき氷。

ユリシアは青。

柚羽は苺。

茉里絵は抹茶。

雫はレモン。

綾香はメロン。

渚先生は――。

「先生、何味ですか?」

柚羽が尋ねる。

「みぞれです」

「渋っ!」

雫が即座に突っ込んだ。

「いいでしょう!? 好きなんです!」

珍しく渚先生が少しむきになった。

「渚先生って、こういうところ妙に古風だよね」

ユリシアが言う。

「ユリシアさんまで!?」

綾香はスプーンを口に運びながら、そのやり取りを眺めていた。

そして。

「綾香ちゃん!」

「ん?」

向かい側のユリシアが、いきなり舌を出した。

「べーっ」

「…………」

真っ青だった。

「何してんのよ!」

「あははっ! 青くなった!」

「当たり前でしょ、ブルーハワイ食べてるんだから!」

「綾香ちゃんも見せて!」

「嫌よ!」

「えー!」

「私も見たいです!」

柚羽まで乗ってくる。

「柚羽まで何言ってるの!」

「だってメロンだから、緑になるのかなって」

「ならないわよ!」

「やってみないと分かんないよぉ」

「分かるわよ!」

数秒後。

「…………」

綾香は。

べーっ。

「わあっ!」

「ちょっと緑!」

「本当ですわ!」

「写真撮ろ!」

「撮らないで!!💢」

また。

笑い声が起きた。

どうでもいい。

本当に。

どうでもいいことだった。

かき氷で舌の色が変わった。

ただ、それだけ。

なのに。

こんなに笑える。


海の家を出たあと。

綾香は何気なくスマートフォンを取り出した。

「せっかくだし、一枚撮る?」

「撮るー!」

いつものように。

綾香はカメラを起動する。

そして五人へ向けた。

「じゃあ、そこ並んで」

すると。

「え?」

ユリシアが首を傾げた。

「何?」

「綾香ちゃんは?」

「私は撮るから」

「ダメ」

「……は?」

ユリシアが当然のように言った。

「綾香ちゃんも入るの」

「いや、でも誰が撮るのよ」

「タイマーがありますよ!」

柚羽が嬉しそうに答える。

「あ」

「それに」

雫が腕を組む。

「毎回あんたが撮る側じゃ、五人の旅行みたいになるじゃない」

「…………」

「六人で来てるんでしょ?」

綾香の指が止まった。

「……そうね」

スマートフォンを岩の上へ置く。

タイマーを十秒に設定。

「押すわよ!」

ぴっ。

十。

九。

「早くー!」

八。

「ユリシア、押さないで!」

「まりちゃん、もっとこっち!」

七。

「柚羽さん、足元お気をつけて!」

六。

「渚先生、そこだと端すぎます!」

「え、私ですか!?」

五。

「綾香! 早く!」

「分かってるわよ!」

四。

綾香が走る。

三。

ユリシアが腕を伸ばした。

「綾香ちゃん、こっち!」

二。

「ちょっ――」

ぐいっ。

一。

ぱしゃっ。

 


「…………」

六人で画面を覗き込む。

そこに写っていたのは。

完璧な集合写真ではなかった。

渚先生は何か言いかけている。

雫は横を向いている。

茉里絵は笑っている。

柚羽は少し目をつぶりかけている。

ユリシアは満面の笑顔。

そして綾香は。

ユリシアに引っ張られたせいで、少し体勢を崩しながら笑っていた。

タイマーで撮った、不完全な集合写真そのもの

「これ、撮り直す?」

柚羽が尋ねる。

「うーん……」

ユリシアが画面を見つめる。

「私は好きだよ?」

「私もですわ」

茉里絵が微笑む。

「なんか今日っぽいもの」

雫も頷いた。

綾香は何も言わず。

もう一度、写真を見た。

昔だったら。

髪がどう見えるか。

構図はどうか。

光はどうか。

そんなところが真っ先に気になったかもしれない。

でも今日は。

そんなことは、どうでもよかった。

写っている。

自分も。

ちゃんと。

みんなと同じ場所に。


今年の夏。

綾香は、一つの映像を作った。

『フレームのむこうがわ』。

そこに込めたものは。

大げさな夢なんかではなかった。

自分だって夏を楽しんでみたい。

友達と。

どうでもいいことで笑ったり。

くだらないことで騒いだり。

そんな。

誰かにとっては当たり前のことを。

自分も、一度くらいしてみたかった。

花火大会では。

その願いが少しだけ叶った。

そして今日。

海で走って。

水をかけられて。

ビーチボールを打ち合って。

渚先生の全力スパイクに笑って。

かき氷で舌を緑色にして。

みんなで写真を撮った。

「…………」

綾香はスマートフォンを胸の前へ戻した。

「綾香ちゃん?」

ユリシアが覗き込む。

「何でもない」

「ほんと?」

「ほんと」

綾香はもう一度写真を見る。

そして。

小さく笑った。

「……叶っちゃったな」

「え?」

「だから、何でもないって」

「気になるー!」

「いいの!」


帰り道。

夕陽が海を橙色に染めていた。

六人は宿へ向かって歩いていく。

ユリシアと柚羽が前を歩き。

その後ろで雫と茉里絵が何かを話している。

渚先生は全員が揃っているか、時々後ろを確認している。

綾香は。

その真ん中を歩いていた。

夕陽の帰り道、輪の真ん中を歩く綾香の後ろ姿

誰かに引っ張られたわけではない。

いつの間にか。

そこが自分の場所になっていた。

「綾香ちゃん」

隣を歩く柚羽が声をかけた。

「さっきの写真、あとで送ってもらってもいいですか?」

「もちろん」

「私、すごく好きです。あの写真」

「……私も」

「え?」

「何でもない」

「またそれですか?」

柚羽が笑った。

綾香も笑う。

「じゃあ宿に戻ったら送るわよ」

「ありがとうございます!」

その時。

柚羽がふと立ち止まった。

「あっ」

「どうしたの?」

「レジャーシート……」

「え?」

柚羽が後ろを振り返る。

「私、ちゃんと畳んだかな……?」

「さっき持ってたじゃない」

「そうでしたっけ?」

「クーラーボックスの横に入れてたわよ」

「本当ですか!?」

「本当」

「よかったぁ……」

胸を撫で下ろす柚羽。

その姿を見て。

綾香は少し笑った。

「柚羽って、みんなのことはよく見てるのに、自分のことになると結構抜けてるのね」

「ええっ!?」

「褒めてるのよ」

「それ、褒めてます?」

「半分くらい」

「ひどいですー!」

二人の声が夕暮れの海岸へ響く。

その少し先から。

「早くー!」

ユリシアが手を振った。

「夕飯なくなっちゃうよー!」

「なくならないわよ!」

綾香が叫び返す。

そして。

柚羽と一緒に。

みんなのところへ走っていった。

もう。

フレームの向こう側ではない。

この夏の中に。

自分も、ちゃんといる。

――第5話へ続く。