第5話 たまには、妹でいさせてください

女子六人、一泊二日第3学年

「ひどいですー!」

柚羽の声が、夕暮れの海岸に響いた。

その少し先では、ユリシアがこちらへ向かって大きく手を振っている。

「早くー! 夕飯なくなっちゃうよー!」

「なくならないわよ!」

綾香が叫び返す。

柚羽も笑いながら走り出した。

「待ってくださーい!」

六人はそのまま、夕陽を背に宿へ戻った。

宿へ着いた頃には、さすがに全員くたくただった。

「つかれたぁぁ……」

部屋へ入るなり、ユリシアが畳の上へ倒れ込む。

「ユリシアさん。まず荷物を片づけてください」

渚先生が即座に注意する。

「あとでやるぅ……」

「今です」

「はーい……」

その横で。

柚羽だけは、まだ妙に元気だった。

「えっと……皆さんのタオルはこちらですね。それから濡れた水着はこの袋にまとめて……」

「柚羽?」

雫が振り返る。

「はい?」

「何してるの?」

「片づけです」

「見れば分かるわよ」

「明日もありますから、今のうちに整理しておいた方がいいかなって」

柚羽はしゃがみ込み、一人ずつ荷物を確認していく。

「ユリシア先輩の日焼け止めはここです。茉里絵先輩の帽子はこっち。綾香先輩のモバイルバッテリーは……」

「それ私のバッグ」

「あっ、そうでした!」

綾香が思わず笑う。

「ほんと、よく見てるわね」

「えへへ……」

柚羽は少し照れた。

「忘れ物すると困りますから」

「その割に」

綾香が言う。

「さっき自分のレジャーシート忘れたかどうか分からなくなってたけど」

「うっ」

「人のことばっかり見てるからよ」

雫まで加わる。

「そ、そんなことないですよぉ」

「じゃあ自分のヘアゴムは?」

「…………」

柚羽の手が止まった。

「……あれ?」

「ほら」

「ど、どこでしょう!?」

「知らないわよ!」

部屋に笑い声が起きた。

大浴場から戻ってくる頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。

六人とも浴衣姿。

「はぁぁ……」

ユリシアが座布団へ座り込む。

「生き返ったぁ……♡」

「まだ高校生でしょ、あんた」

雫が呆れる。

「お風呂上がりはみんな生き返るんだよぉ」

「はいはい」

その近くで。

柚羽はまた忙しく動いていた。

「冷たいお水、ここに置きますね」

「ありがとー!」

「茉里絵先輩もどうぞ」

「まあ。ありがとうございます、柚羽さん」

「綾香先輩も」

「ありがと」

「渚先生もどうぞ!」

「ありがとうございます」

最後に。

雫が柚羽を見る。

「で?」

「はい?」

「自分の分は?」

「…………」

柚羽がテーブルを見る。

水の入ったグラスは五つ。

「……あ」

雫が額を押さえた。

「やっぱりないじゃない」

「い、今取ってきます!」

立ち上がろうとする柚羽の肩を、雫が掴んだ。

「座ってなさい」

「え?」

「私が取ってくるから」

「でも――」

「いいから」

雫が立つ。

その時だった。

「柚羽ちゃん」

ユリシアが柚羽を指差す。

「髪もまだ濡れてるよ?」

「え?」

触ってみる。

まだ毛先がかなり湿っていた。

「あ……」

「もう!」

雫の声が飛んできた。

「何やってんのよ!」

「だ、大丈夫です! 自然に乾きますから!」

「風邪ひいたらどうすんの!」

雫は水を持って戻ってくると、そのまま柚羽の後ろへ回った。

「ほら」

「?」

頭に。

ばさっ。

タオルが被せられた。

「わっ!」

「じっとしてなさい」

ごしごし。

「し、雫先輩!?」

「何よ」

「自分でできます!」

「できてないからこうなってるんでしょ」

ごしごしごし。

「わわわっ……!」

柚羽の頭が左右へ揺れる。

タオルでわしゃわしゃ髪を拭かれる柚羽

ユリシアが笑い出した。

「雫ちゃん、お姉ちゃんみたーい♡」

ぴたり。

雫の手が止まった。

「…………」

「…………」

柚羽も固まった。

そして。

少しだけ頬を赤くして。

「……私も、そう思います」

「は?」

「雫先輩って、お姉ちゃんみたいだなって」

「ちょっ……!」

今度は雫の方が赤くなった。

「何言ってんのよ!」

「だって本当ですもん」

「誰がお姉ちゃんよ!」

「雫ちゃんお姉ちゃーん♡」

「ユリシアは黙ってなさい!!💢」

また部屋に笑い声が広がった。

夕食の時間。

宿の食事処には、刺身、焼き魚、煮物、海鮮鍋。

昼食以上に豪華な料理が並んでいた。

「すごーい!」

ユリシアが目を輝かせる。

「お昼より豪華!」

「宿泊客用の夕食ですもの。当然といえば当然ですわね」

茉里絵も嬉しそうだ。

「いただきまーす!」

六人が箸を取る。

そして。

柚羽はまた始めた。

「ユリシア先輩、これ好きそうですよ」

「ほんと? ありがとー!」

「茉里絵先輩、こっちのお刺身も――」

「柚羽」

「はい?」

雫だった。

「食べなさい」

「食べてますよ?」

「食べてない」

「食べてます!」

「さっきから人の皿ばっかり見てるじゃない」

「…………」

柚羽の前の料理は、ほとんど減っていなかった。

「ほら」

雫が焼き魚を一切れ取り分ける。

ぽん。

柚羽の皿へ。

「食べる」

「……はい」

「あとこれも」

今度は煮物。

「雫先輩、多いです」

「海であれだけ走り回ったんだから食べなさい」

「はい……」

柚羽は箸をつけた。

もぐもぐ。

「……おいしい」

「でしょ」

雫が少し笑う。

その様子を見ていた茉里絵が口元へ手を添えた。

「本当に姉妹のようですわね」

「茉里絵まで!」

「ふふふっ」

柚羽は笑った。

でも。

胸の奥が、ほんの少しだけ温かかった。

食事の終わり頃。

デザートが運ばれてきた。

小さなプリンを見た瞬間。

「わぁ♡」

柚羽が目を輝かせる。

それを。

雫は見逃さなかった。

「柚羽、プリン好きなの?」

「えっ?」

「今、顔が変わった」

「そ、そんなにですか?」

「ものすごく分かりやすかったわよ」

ユリシアが横から覗き込む。

「柚羽ちゃん、甘いもの好きだもんね」

「はい……好きです」

柚羽は少し恥ずかしそうにプリンを見る。

その時。

仲居さんが、少し申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ございません。本日はプリンが五つしかご用意できなくて……先生のお席には、代わりの甘味をご用意いたしました」

「あ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」

渚先生が笑って答える。

生徒五人の前にはプリンが一つずつ。

そして渚先生の前には、代わりの甘味が置かれた。

柚羽は自分のプリンを見る。

けれど、すぐに周りの皿へ視線を移した。

「皆さんの分も、ちゃんとありますよね?」

「あるわよ」

雫が答える。

「じゃあ安心ですっ」

「……あんた、自分のプリンより先にそこ確認するのね」

「だって、みんなの分がなかったら気になるんだもん!」

雫は一瞬きょとんとして。

「……そういうところよ」

「え?」

「何でもない。ほら、食べなさい」

「はいっ♡」

柚羽はスプーンですくって、ひと口。

「…………!」

顔がぱっと明るくなる。

「おいしいですっ!」

「ほら」

雫が笑った。

「それでいいのよ」

夕食を終え、部屋へ戻る。

布団はすでに敷かれていた。

「わぁ!」

ユリシアが真っ先に飛び込む。

「お布団だぁー!」

「飛び込まない!」

渚先生の声が飛ぶ。

「はーい!」

「返事だけはいいんだから……」

綾香が笑う。

柚羽は。

また何かをしようとした。

「あ、明日の準備――」

「柚羽」

雫が呼ぶ。

「はい?」

「こっち」

「?」

雫が自分の隣の座布団をぽんぽんと叩いた。

「座る」

「でも――」

「明日のことは明日でいいでしょ」

「…………」

「今日はもう終わり」

柚羽は少し迷って。

「……はい」

雫の隣へ座った。

ユリシアと茉里絵は何かのカードゲームを広げ始めている。

綾香も加わった。

「柚羽ちゃんもやろー!」

「はい!」

立ち上がろうとした、その時。

雫が小さく言った。

「柚羽」

「はい?」

「別にさ」

少しだけ声を落として。

「私たちに何か返そうとか、考えなくていいからね」

「……え?」

柚羽の表情が止まった。

雫は前を向いたまま続ける。

「勉強教えたとか。助けたとか。そんなの」

「…………」

「私がやりたかったからやっただけだし」

柚羽は黙って聞いていた。

「だからさ」

雫は少しだけ横を見る。

「してもらったこと、いちいち全部返そうとしなくていいのよ」

柚羽は、何も言えなかった。

「柚羽は柚羽で、そのままでいればいいの」

「…………」

「誰かの世話ばっかり焼いてないで」

雫はそっぽを向いた。

「たまには甘えなさいよ」

柚羽の瞳が少しだけ揺れる。

布団の上、「甘えなさいよ」の瞬間

「……いいんですか?」

「何が?」

「甘えても」

「だから今そう言ったでしょ!」

「ふふっ」

「何よ」

柚羽は笑った。

「やっぱり雫先輩って――」

「言うな」

「お姉ちゃんみたいです」

「言うなって言ったでしょ!!」

「きゃっ!」

柚羽が笑いながら逃げる。

「こら、柚羽!」

「雫お姉ちゃーん♡」

ユリシアまで便乗する。

「ユリシアー!!💢」

「きゃーっ!」

一気に部屋が騒がしくなった。

しばらくして。

六人は布団の上でカードゲームを始めた。

笑って。

騒いで。

また笑って。

柚羽は思った。

誰かの役に立てるのは、嬉しい。

誰かが困っているなら、助けたい。

それはこれからも変わらない。

でも。

今日みたいに。

自分の髪を拭いてもらって。

料理を取り分けてもらって。

大好きなプリンを「食べなさい」と言ってもらって。

そんなふうに。

誰かに世話を焼いてもらうのも。

――悪くない。

いや。

本当は。

ずっと嬉しかったのかもしれない。

「柚羽!」

「はい?」

雫がカードを一枚差し出している。

「早く引きなさい」

「あ、はい!」

一枚取る。

「…………」

ジョーカーだった。

「ああっ!!」

「顔に出すなって!」

「だってぇ!」

全員が笑った。

柚羽も。

声を上げて笑った。

今日は。

少しくらい妹でいてもいい。

そんな夜だった。

しばらくして。

カードゲームがひと区切りついた頃。

テーブルの端では。

「…………」

渚先生が、小さな杯を手にしていた。

夕食の時に宿から勧められた、この土地の地酒。

「渚先生」

ユリシアが気づく。

「それ、お酒?」

「えっ?」

渚先生が一瞬固まった。

「まあ……日本酒ですね」

「飲んでるの?」

「ほんの少しだけですよ!」

「へぇー……」

ユリシアの目が妙に輝いた。

「な、何ですか、その顔は」

「別にぃ?」

「…………」

柚羽も渚先生を見る。

よく見ると。

ほんの少しだけ。

頬が赤い。

「渚先生、お顔赤くないですか?」

「えっ!?」

渚先生は慌てて頬へ手を当てた。

「そ、そんなことありません!」

「ありますわね」

茉里絵が即答した。

「あるわね」

雫も続く。

「あります」

綾香まで。

「ありますっ!」

柚羽も。

最後に。

ユリシアがにっこり笑った。

「あるよ♡」

「皆さん!?」

五対一。

渚先生が完全に包囲された。

五対一で包囲される渚先生

「ち、違います! これはお風呂上がりだからで――」

「さっきお風呂出てから結構経ってるけど?」

綾香。

「うっ……」

「もしかして先生、お酒弱いんですか?」

柚羽。

「弱くありません!」

即答だった。

「じゃあもう一杯飲める?」

ユリシア。

「どうしてそうなるんですか!」

部屋に笑い声が響く。

渚先生は赤い顔のまま、小さな杯をテーブルへ置いた。

「まったく……」

そう言いながら。

その口元は。

少しだけ笑っていた。

そして。

五人はまだ知らない。

ほんの少し口にしたお酒と。

今日一日積み重なった疲れと。

五人の遠慮のなさが組み合わさった時。

普段は冷静な渚先生の口から――。

とんでもなく正直な本音が、次々と飛び出すことになるとは。

――第6話へ続く。