「ひどいですー!」
柚羽の声が、夕暮れの海岸に響いた。
その少し先では、ユリシアがこちらへ向かって大きく手を振っている。
「早くー! 夕飯なくなっちゃうよー!」
「なくならないわよ!」
綾香が叫び返す。
柚羽も笑いながら走り出した。
「待ってくださーい!」
六人はそのまま、夕陽を背に宿へ戻った。
宿へ着いた頃には、さすがに全員くたくただった。
「つかれたぁぁ……」
部屋へ入るなり、ユリシアが畳の上へ倒れ込む。
「ユリシアさん。まず荷物を片づけてください」
渚先生が即座に注意する。
「あとでやるぅ……」
「今です」
「はーい……」
その横で。
柚羽だけは、まだ妙に元気だった。
「えっと……皆さんのタオルはこちらですね。それから濡れた水着はこの袋にまとめて……」
「柚羽?」
雫が振り返る。
「はい?」
「何してるの?」
「片づけです」
「見れば分かるわよ」
「明日もありますから、今のうちに整理しておいた方がいいかなって」
柚羽はしゃがみ込み、一人ずつ荷物を確認していく。
「ユリシア先輩の日焼け止めはここです。茉里絵先輩の帽子はこっち。綾香先輩のモバイルバッテリーは……」
「それ私のバッグ」
「あっ、そうでした!」
綾香が思わず笑う。
「ほんと、よく見てるわね」
「えへへ……」
柚羽は少し照れた。
「忘れ物すると困りますから」
「その割に」
綾香が言う。
「さっき自分のレジャーシート忘れたかどうか分からなくなってたけど」
「うっ」
「人のことばっかり見てるからよ」
雫まで加わる。
「そ、そんなことないですよぉ」
「じゃあ自分のヘアゴムは?」
「…………」
柚羽の手が止まった。
「……あれ?」
「ほら」
「ど、どこでしょう!?」
「知らないわよ!」
部屋に笑い声が起きた。
大浴場から戻ってくる頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。
六人とも浴衣姿。
「はぁぁ……」
ユリシアが座布団へ座り込む。
「生き返ったぁ……♡」
「まだ高校生でしょ、あんた」
雫が呆れる。
「お風呂上がりはみんな生き返るんだよぉ」
「はいはい」
その近くで。
柚羽はまた忙しく動いていた。
「冷たいお水、ここに置きますね」
「ありがとー!」
「茉里絵先輩もどうぞ」
「まあ。ありがとうございます、柚羽さん」
「綾香先輩も」
「ありがと」
「渚先生もどうぞ!」
「ありがとうございます」
最後に。
雫が柚羽を見る。
「で?」
「はい?」
「自分の分は?」
「…………」
柚羽がテーブルを見る。
水の入ったグラスは五つ。
「……あ」
雫が額を押さえた。
「やっぱりないじゃない」
「い、今取ってきます!」
立ち上がろうとする柚羽の肩を、雫が掴んだ。
「座ってなさい」
「え?」
「私が取ってくるから」
「でも――」
「いいから」
雫が立つ。
その時だった。
「柚羽ちゃん」
ユリシアが柚羽を指差す。
「髪もまだ濡れてるよ?」
「え?」
触ってみる。
まだ毛先がかなり湿っていた。
「あ……」
「もう!」
雫の声が飛んできた。
「何やってんのよ!」
「だ、大丈夫です! 自然に乾きますから!」
「風邪ひいたらどうすんの!」
雫は水を持って戻ってくると、そのまま柚羽の後ろへ回った。
「ほら」
「?」
頭に。
ばさっ。
タオルが被せられた。
「わっ!」
「じっとしてなさい」
ごしごし。
「し、雫先輩!?」
「何よ」
「自分でできます!」
「できてないからこうなってるんでしょ」
ごしごしごし。
「わわわっ……!」
柚羽の頭が左右へ揺れる。
ユリシアが笑い出した。
「雫ちゃん、お姉ちゃんみたーい♡」
ぴたり。
雫の手が止まった。
「…………」
「…………」
柚羽も固まった。
そして。
少しだけ頬を赤くして。
「……私も、そう思います」
「は?」
「雫先輩って、お姉ちゃんみたいだなって」
「ちょっ……!」
今度は雫の方が赤くなった。
「何言ってんのよ!」
「だって本当ですもん」
「誰がお姉ちゃんよ!」
「雫ちゃんお姉ちゃーん♡」
「ユリシアは黙ってなさい!!💢」
また部屋に笑い声が広がった。
夕食の時間。
宿の食事処には、刺身、焼き魚、煮物、海鮮鍋。
昼食以上に豪華な料理が並んでいた。
「すごーい!」
ユリシアが目を輝かせる。
「お昼より豪華!」
「宿泊客用の夕食ですもの。当然といえば当然ですわね」
茉里絵も嬉しそうだ。
「いただきまーす!」
六人が箸を取る。
そして。
柚羽はまた始めた。
「ユリシア先輩、これ好きそうですよ」
「ほんと? ありがとー!」
「茉里絵先輩、こっちのお刺身も――」
「柚羽」
「はい?」
雫だった。
「食べなさい」
「食べてますよ?」
「食べてない」
「食べてます!」
「さっきから人の皿ばっかり見てるじゃない」
「…………」
柚羽の前の料理は、ほとんど減っていなかった。
「ほら」
雫が焼き魚を一切れ取り分ける。
ぽん。
柚羽の皿へ。
「食べる」
「……はい」
「あとこれも」
今度は煮物。
「雫先輩、多いです」
「海であれだけ走り回ったんだから食べなさい」
「はい……」
柚羽は箸をつけた。
もぐもぐ。
「……おいしい」
「でしょ」
雫が少し笑う。
その様子を見ていた茉里絵が口元へ手を添えた。
「本当に姉妹のようですわね」
「茉里絵まで!」
「ふふふっ」
柚羽は笑った。
でも。
胸の奥が、ほんの少しだけ温かかった。
食事の終わり頃。
デザートが運ばれてきた。
小さなプリンを見た瞬間。
「わぁ♡」
柚羽が目を輝かせる。
それを。
雫は見逃さなかった。
「柚羽、プリン好きなの?」
「えっ?」
「今、顔が変わった」
「そ、そんなにですか?」
「ものすごく分かりやすかったわよ」
ユリシアが横から覗き込む。
「柚羽ちゃん、甘いもの好きだもんね」
「はい……好きです」
柚羽は少し恥ずかしそうにプリンを見る。
その時。
仲居さんが、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。本日はプリンが五つしかご用意できなくて……先生のお席には、代わりの甘味をご用意いたしました」
「あ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
渚先生が笑って答える。
生徒五人の前にはプリンが一つずつ。
そして渚先生の前には、代わりの甘味が置かれた。
柚羽は自分のプリンを見る。
けれど、すぐに周りの皿へ視線を移した。
「皆さんの分も、ちゃんとありますよね?」
「あるわよ」
雫が答える。
「じゃあ安心ですっ」
「……あんた、自分のプリンより先にそこ確認するのね」
「だって、みんなの分がなかったら気になるんだもん!」
雫は一瞬きょとんとして。
「……そういうところよ」
「え?」
「何でもない。ほら、食べなさい」
「はいっ♡」
柚羽はスプーンですくって、ひと口。
「…………!」
顔がぱっと明るくなる。
「おいしいですっ!」
「ほら」
雫が笑った。
「それでいいのよ」
夕食を終え、部屋へ戻る。
布団はすでに敷かれていた。
「わぁ!」
ユリシアが真っ先に飛び込む。
「お布団だぁー!」
「飛び込まない!」
渚先生の声が飛ぶ。
「はーい!」
「返事だけはいいんだから……」
綾香が笑う。
柚羽は。
また何かをしようとした。
「あ、明日の準備――」
「柚羽」
雫が呼ぶ。
「はい?」
「こっち」
「?」
雫が自分の隣の座布団をぽんぽんと叩いた。
「座る」
「でも――」
「明日のことは明日でいいでしょ」
「…………」
「今日はもう終わり」
柚羽は少し迷って。
「……はい」
雫の隣へ座った。
ユリシアと茉里絵は何かのカードゲームを広げ始めている。
綾香も加わった。
「柚羽ちゃんもやろー!」
「はい!」
立ち上がろうとした、その時。
雫が小さく言った。
「柚羽」
「はい?」
「別にさ」
少しだけ声を落として。
「私たちに何か返そうとか、考えなくていいからね」
「……え?」
柚羽の表情が止まった。
雫は前を向いたまま続ける。
「勉強教えたとか。助けたとか。そんなの」
「…………」
「私がやりたかったからやっただけだし」
柚羽は黙って聞いていた。
「だからさ」
雫は少しだけ横を見る。
「してもらったこと、いちいち全部返そうとしなくていいのよ」
柚羽は、何も言えなかった。
「柚羽は柚羽で、そのままでいればいいの」
「…………」
「誰かの世話ばっかり焼いてないで」
雫はそっぽを向いた。
「たまには甘えなさいよ」
柚羽の瞳が少しだけ揺れる。
「……いいんですか?」
「何が?」
「甘えても」
「だから今そう言ったでしょ!」
「ふふっ」
「何よ」
柚羽は笑った。
「やっぱり雫先輩って――」
「言うな」
「お姉ちゃんみたいです」
「言うなって言ったでしょ!!」
「きゃっ!」
柚羽が笑いながら逃げる。
「こら、柚羽!」
「雫お姉ちゃーん♡」
ユリシアまで便乗する。
「ユリシアー!!💢」
「きゃーっ!」
一気に部屋が騒がしくなった。
しばらくして。
六人は布団の上でカードゲームを始めた。
笑って。
騒いで。
また笑って。
柚羽は思った。
誰かの役に立てるのは、嬉しい。
誰かが困っているなら、助けたい。
それはこれからも変わらない。
でも。
今日みたいに。
自分の髪を拭いてもらって。
料理を取り分けてもらって。
大好きなプリンを「食べなさい」と言ってもらって。
そんなふうに。
誰かに世話を焼いてもらうのも。
――悪くない。
いや。
本当は。
ずっと嬉しかったのかもしれない。
「柚羽!」
「はい?」
雫がカードを一枚差し出している。
「早く引きなさい」
「あ、はい!」
一枚取る。
「…………」
ジョーカーだった。
「ああっ!!」
「顔に出すなって!」
「だってぇ!」
全員が笑った。
柚羽も。
声を上げて笑った。
今日は。
少しくらい妹でいてもいい。
そんな夜だった。
しばらくして。
カードゲームがひと区切りついた頃。
テーブルの端では。
「…………」
渚先生が、小さな杯を手にしていた。
夕食の時に宿から勧められた、この土地の地酒。
「渚先生」
ユリシアが気づく。
「それ、お酒?」
「えっ?」
渚先生が一瞬固まった。
「まあ……日本酒ですね」
「飲んでるの?」
「ほんの少しだけですよ!」
「へぇー……」
ユリシアの目が妙に輝いた。
「な、何ですか、その顔は」
「別にぃ?」
「…………」
柚羽も渚先生を見る。
よく見ると。
ほんの少しだけ。
頬が赤い。
「渚先生、お顔赤くないですか?」
「えっ!?」
渚先生は慌てて頬へ手を当てた。
「そ、そんなことありません!」
「ありますわね」
茉里絵が即答した。
「あるわね」
雫も続く。
「あります」
綾香まで。
「ありますっ!」
柚羽も。
最後に。
ユリシアがにっこり笑った。
「あるよ♡」
「皆さん!?」
五対一。
渚先生が完全に包囲された。
「ち、違います! これはお風呂上がりだからで――」
「さっきお風呂出てから結構経ってるけど?」
綾香。
「うっ……」
「もしかして先生、お酒弱いんですか?」
柚羽。
「弱くありません!」
即答だった。
「じゃあもう一杯飲める?」
ユリシア。
「どうしてそうなるんですか!」
部屋に笑い声が響く。
渚先生は赤い顔のまま、小さな杯をテーブルへ置いた。
「まったく……」
そう言いながら。
その口元は。
少しだけ笑っていた。
そして。
五人はまだ知らない。
ほんの少し口にしたお酒と。
今日一日積み重なった疲れと。
五人の遠慮のなさが組み合わさった時。
普段は冷静な渚先生の口から――。
とんでもなく正直な本音が、次々と飛び出すことになるとは。
――第6話へ続く。


