「あるよ♡」
「皆さん!?」
五対一。
渚先生が完全に包囲された。
「ち、違います! これはお風呂上がりだからで――」
「さっきお風呂出てから結構経ってるけど?」
綾香。
「うっ……」
「もしかして先生、お酒弱いんですか?」
柚羽。
「弱くありません!」
即答だった。
「じゃあもう一杯飲める?」
ユリシア。
「どうしてそうなるんですか!」
部屋に笑い声が響く。
渚先生は赤い顔のまま、小さな杯をお盆へ置いた。
「もう飲みません!」
「えー」
「『えー』じゃありません!」
きっぱり宣言したものの。
五人の顔を見ると。
嫌な予感しかしない。
「…………」
ユリシア。
にこにこ。
茉里絵。
にこにこ。
柚羽。
きらきら。
綾香。
にやにや。
雫。
じーっ。
「……何ですか」
誰も答えない。
「何なんですか、その顔は!」
最初に口を開いたのは、やはりユリシアだった。
「ねえ、渚先生♡」
「嫌です」
「まだ何も聞いてないよぉ!」
「聞かなくても分かります!」
「じゃあ話が早いね♡」
「早くありません!」
そして。
ユリシアは満面の笑顔で尋ねた。
「おにいたんの、どこが好きなの?」
「ぶっ――!」
渚先生がむせた。
「ユリシアさん!」
「だって気になるんだもん!」
「だからって、いきなり何を――!」
「わたくしも少々興味がありますわ」
「茉里絵さん!?」
「だって渚先生、普段はそういったお話をまったくなさいませんもの」
「する必要がありませんから!」
雫が腕を組む。
「まあ、今日は旅行だし」
「だから何ですか!」
「恋バナくらいいいんじゃない?」
「よくありません!」
「先生」
柚羽が遠慮がちに手を上げた。
「はい?」
「私も……ちょっと聞きたいです」
「柚羽さんまで!?」
「す、すみません!」
そう言いながら。
目はものすごく期待している。
綾香は壁にもたれながら肩をすくめた。
「もう諦めたら?」
「綾香さん!?」
「五対一よ」
「人数で押し切ろうとしないでください!」
また笑い声が起こった。
結局。
カードゲームはいつの間にか中断されていた。
六人は布団の上に円を作って座っている。
その中央には。
さっきまで渚先生が飲んでいた小さな杯。
ただし。
もう中身はない。
「それで?」
雫が尋ねる。
「何がですか」
「和先生のどこが好きなんですか?」
「どうして続いてるんですか、この話!」
「ユリシアが聞いたから」
「責任転嫁しない!」
「渚先生」
茉里絵が微笑む。
「観念なさった方が楽ですわよ」
「なぜ生徒にそんなことを言われなければならないんですか……」
渚先生は両手で顔を覆った。
頬が熱い。
ほんの少し口にした日本酒のせいなのか。
それとも。
五人に囲まれているせいなのか。
自分でも、もうよく分からない。
「…………」
しばらくして。
指の隙間から、五人を見る。
待っている。
全員。
ものすごく待っている。
「……笑いませんか?」
「笑わないよ♡」
「ユリシアさんは一番信用できません」
「ひどーい!」
それでも。
渚先生は小さく息を吐いた。
「……優しいところです」
一瞬。
部屋が静かになった。
「和先生は……とても優しい方です」
いつもの教師としての口調。
けれど。
声だけが、少し柔らかい。
「何というのでしょう。こちらが言葉にしなくても、気づいてくださることがあって」
「へぇー♡」
「ユリシアさん。その顔やめてください」
「何もしてないよぉ?」
「しています!」
柚羽が尋ねる。
「一緒にいると、安心するんですか?」
「…………」
その質問には。
渚先生はすぐに答えなかった。
少し考えて。
「はい」
小さく頷く。
「安心します」
そして。
「……でも、それだけではないですね」
「?」
「たまにものすごく腹が立ちます」
五人が固まった。
「え?」
「腹が立つんですか?」
「立ちます!」
急に声が大きくなった。
「あの人、自分のことになると本当に鈍いんです!」
「おお……」
綾香が目を丸くする。
「人のことにはよく気づくのに、自分がどんなことを言ったか全然分かっていなくて!」
「…………」
「こっちが何日も思い出してしまうようなことを、本人は何でもないみたいに言うんですよ!?」
「…………」
「『無理しなくていいですよ』とか!」
「…………」
「『渚がいてくれて助かったよ』とか!」
「…………」
「それに……『渚先生、こんなに優雅な動きができるなんて』とか!」
「…………」
「そんなこと普通の顔で言われたら……!」
そこで。
渚先生の口が止まった。
五人がこちらを見ている。
「…………」
「…………」
「…………」
しまった。
渚先生の顔がさらに赤くなる。
「わ、忘れてください!」
「無理」
雫が即答した。
「無理ですわね」
茉里絵。
「無理です」
綾香。
「無理ですっ」
柚羽。
そして。
ユリシアは両頬を押さえていた。
「渚先生かわいいぃぃ♡」
「やめてください!!」
ところが。
ここからが、本当の始まりだった。
「いつから好きなんですか?」
綾香。
「それは……」
「和先生から告白したんですの?」
茉里絵。
「えっ、いや、その……」
「先生から?」
柚羽。
「ち、違います!」
「じゃあどっちでもないの?」
雫。
「それは……!」
「おにいたんと手つないだことある?」
ユリシア。
「ユリシアさん!!」
渚先生の悲鳴が響いた。
「一人ずつ! 一人ずつ聞いてください!」
「答えるんだ」
綾香がぼそっと呟く。
「……!」
渚先生が固まる。
「今のなしです!」
「もう遅いわよ」
雫が笑う。
完全に。
生徒たちのペースだった。
普段なら。
ここまで聞かれた時点で話を終わらせていた。
教師として。
大人として。
線を引いていたはずだった。
でも。
今日一日。
海で笑って。
一緒に食事をして。
ビーチボールを遥か彼方へ吹き飛ばして。
旅館で浴衣を着て。
カードゲームまでして。
そして今。
目の前にいる五人は。
教師を困らせて面白がっている生徒というより。
年の離れた妹たちのように見えた。
だから。
ほんの少しだけ。
気が緩んだ。
「……将来の話は、しています」
ぴたり。
五人の動きが止まった。
渚先生自身も。
言ってから固まった。
「…………」
「…………」
「…………」
数秒。
誰も声を出さなかった。
そして。
「――ちょっと待って」
最初に口を開いたのは雫だった。
「はい?」
「今、さらっとものすごいこと言わなかった?」
「えっ」
「『将来の話』って何よ!」
雫が身を乗り出す。
「それって、これからも一緒にいるって意味!?」
「し、雫さん!」
その隣では。
茉里絵が珍しく目を丸くしていた。
「まあ……」
「茉里絵さん?」
「やはり……そうでしたのね」
「何がですか!?」
茉里絵は雫を見る。
雫も茉里絵を見る。
二人の間に。
一瞬だけ。
『やっぱり』
という無言の意思疎通が成立した。
「ちょっと!」
渚先生が慌てる。
「何ですか今の目配せは!」
「だって」
雫が渚先生を見る。
「前から怪しいと思ってたのよ」
「怪しい!?」
「わたくしたち、以前から少々お話ししておりましたの」
茉里絵も涼しい顔で続ける。
「渚先生と和先生は、どうも普通の同僚という距離ではないのではないか、と」
「なっ……!」
渚先生の顔が一気に赤くなった。
「そんなこと話していたんですか!?」
「ええ」
「話してたわ」
二人同時だった。
「初耳なんだけど」
綾香が呟く。
「私もですっ!」
柚羽まで身を乗り出す。
「雫先輩たち、そんな前から気づいてたんですか?」
「気づいてたっていうか」
雫は腕を組む。
「怪しすぎたのよ」
「怪しすぎるって何ですか!」
「でも」
茉里絵が口元へ手を添える。
「まさか、すでに将来のお話までなさっていたとは思いませんでしたわ」
「それよ!」
雫が再び食いつく。
「どこまで話してるの!?」
「ど、どこまでって……!」
「結婚?」
綾香。
「綾香さん!」
「一緒に暮らすとかですか?」
柚羽。
「柚羽さんまで!?」
一気に四方から質問が飛んでくる。
「皆さん、待ってください! 一度に聞かないで――!」
そんな中。
ユリシアだけは。
しばらく何も言わなかった。
「…………」
渚先生が、ちらりと見る。
意外だった。
もっと大きく反応すると思っていたから。
やがて。
ユリシアは、にこっと笑った。
「そっかぁ」
「……ユリシアさん?」
「うん」
それだけだった。
そして。
「でも」
人差し指を立てた。
「ユリシアはユリシアだからね♡」
「……はい?」
「おにいたんとユリシアの絆は、誰にも負けないもん」
「…………」
渚先生はユリシアを見る。
その表情に。
以前のような焦りはなかった。
勝ち負けを急いでいる顔でもない。
ただ。
絶対に揺らがないものを知っている子の顔だった。
「だから」
ユリシアは胸を張る。
「最後におにいたんのお嫁さんになればいいんだもん♡」
「結局そこなの!?」
雫が叫んだ。
「あはははっ!」
綾香が吹き出す。
茉里絵も口元を押さえる。
柚羽まで笑っている。
そして。
渚先生は。
「…………」
数秒固まってから。
「ユ、ユリシアさん!」
とうとう慌て始めた。
「それとこれとは話が別でしょう!?」
「別じゃないよぉ♡」
「別です!」
「じゃあ渚先生もがんばろー♡」
「何をですか!!」
五人の笑い声が部屋いっぱいに広がった。
「もう……」
しばらくして。
渚先生は完全に疲れ切った顔をしていた。
「皆さん、容赦なさすぎます……」
「でも」
柚羽が微笑む。
「ちょっと安心しました」
「何がですか?」
「渚先生も、普通に恋するんだなって」
「…………」
「先生って、いつもすごくしっかりしてるから」
柚羽は少し照れながら笑った。
「こういうことで慌てたりするんだなって」
「私だって人間ですよ」
渚先生は苦笑した。
そして。
少しだけ間を置いて。
「好きな人の前では……私だって、ただの一人の女性です」
そこで言葉を止める。
頬が。
また少し赤くなった。
「……格好よくなんて、いられません」
「…………」
五人の表情が。
一斉に柔らかくなった。
「だから」
渚先生は慌てて付け加える。
「今のも忘れてください!」
「だから無理だって」
雫。
「永久保存ですわ♡」
茉里絵。
「心に保存しました」
綾香。
「私もですっ」
柚羽。
最後に。
ユリシア。
「おにいたんにも教えてあげよーっと♡」
「それだけは絶対にやめてください!!」
「きゃーっ!」
また。
大騒ぎになった。
今夜だけは。
先生ではなく。
少し年上の一人の女性として。
渚先生も。
その輪の中にいた。
どれくらい騒いだだろう。
やがて。
一人。
また一人。
布団へ横になっていった。
「もう無理ぃ……」
ユリシアが枕へ顔を埋める。
「さっきまであんなに元気だったじゃない」
雫もあくびをしている。
「もう十二時近いですよ」
渚先生が時計を見る。
「皆さん、そろそろ本当に寝てください」
「はーい……」
今度ばかりは。
返事だけではなかった。
ほどなく。
部屋は静かになった。
柚羽の穏やかな寝息。
茉里絵の布団。
雫と綾香。
そして。
ユリシア。
渚先生は一人、まだ起きていた。
窓の向こうから。
波の音が聞こえる。
「…………」
今日。
ずいぶん余計なことまで喋ってしまった。
明日の朝。
何を言われるのだろう。
考えるだけで恥ずかしい。
でも。
不思議と。
嫌ではなかった。
昔の自分なら。
和先生を好きだという気持ちを。
誰かに知られるだけでも怖かった。
それが今は。
「将来の話は、しています」
と。
自分の口から言えた。
それはきっと。
あの人と。
ちゃんと気持ちを確かめ合えたからだ。
焦らなくていい。
誰かと比べなくていい。
自分には。
自分の場所がある。
「……ふふっ」
渚先生は小さく笑った。
そして。
眠っている五人を見る。
「本当に……すごい子たちですね」
何ものも恐れず。
一直線。
思ったことを聞いて。
笑って。
飛び込んでくる。
自分にはない強さだ。
少し。
羨ましいくらいに。
渚先生も布団へ入った。
「おやすみなさい」
誰にも聞こえない声で。
そう呟いた。
翌朝。
「渚先生♡」
「…………」
目を覚ました瞬間。
枕元に。
ユリシアがいた。
満面の笑顔で。
「おはよー♡」
「…………おはようございます」
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感がした。
「昨日のこと、ぜーんぶ覚えてる?」
「…………」
渚先生は。
布団を頭まで被った。
「忘れてくださいぃぃ……!」
「覚えてるんだ!」
「ユリシアさん!!」
部屋に笑い声が響いた。
雫も。
茉里絵も。
柚羽も。
綾香も。
もう起きている。
「おはようございます、渚先生」
茉里絵が優雅に微笑む。
「昨夜は大変興味深いお話をありがとうございました」
「茉里絵さん!」
「永久保存でしたっけ?」
綾香が笑う。
「違います!」
柚羽もくすくす笑っていた。
「先生、顔また赤くなってますよ?」
「もう皆さん嫌いです!」
「ええーっ!」
五人が声を揃える。
渚先生も。
とうとう笑ってしまった。
二日目の海は。
昨日より少しだけ穏やかだった。
六人で波打ち際を歩き。
貝殻を拾い。
最後にもう一度だけ海へ入った。
「渚先生!」
ユリシアが手を振る。
「今日は先生もちゃんと遊ぼ!」
「昨日も十分遊んだでしょう!」
「ビーチボール飛ばしただけじゃん!」
「それを言わないでください!」
それでも。
渚先生は笑いながら海へ入った。
今日は。
五人を少し離れた場所から見守るだけではなく。
同じ波の中に立った。
「先生、こっちです!」
柚羽。
「渚先生、早く!」
綾香。
「ほら、来たわよ!」
雫。
「先生もこちらへ!」
茉里絵。
「渚せんせー!」
ユリシア。
五人の声が重なる。
「はいはい。今行きます!」
渚先生も。
少しだけ大きな声で返した。
楽しかった時間は。
驚くほど早く過ぎていった。
昼過ぎ。
六人は宿を出た。
荷物を車へ積み込み。
渚先生が運転席へ座る。
「忘れ物ありませんね?」
「はーい!」
「本当に?」
「はーい!」
「柚羽さん?」
「だ、大丈夫です!」
「ヘアゴムは?」
「ありますっ!」
全員が笑う。
車が走り出した。
しばらくすると。
後部座席から声がしなくなった。
信号待ちで。
渚先生がバックミラーを見る。
ユリシア。
雫。
茉里絵。
綾香。
柚羽。
五人とも。
ぐっすり眠っていた。
「…………」
渚先生は微笑む。
「お疲れさまでした」
車は。
夏の海を後にした。
夕方。
ユリシアが家へ戻る頃。
玄関の前には。
和先生が待っていた。
「おかえり、ユリ」
「おにいたーん!」
ユリシアの表情が一瞬で輝いた。
「ただいまーっ♡」
荷物を置くより先に。
和先生の前へ走っていく。
「旅行、楽しかったかい?」
「うん! すっごく楽しかった!」
「それはよかった」
「それより!」
「ん?」
ユリシアの顔が急に真剣になった。
「おにいたん」
「な、何だい?」
「ちゃんとご飯食べた?」
「食べたよ」
「歯磨いた?」
「磨いたよ」
「お風呂入った?」
「入ったよ」
「ちゃんと下着も取り替えた?」
「ユリ!」
後ろで。
五人が固まった。
「…………」
「…………」
「…………」
和先生の顔が赤くなる。
「帰ってきて最初に聞くことがそれかい!?」
「だって大事なことだもん!」
「私は子どもじゃないんだけど……」
「でもおにいたん、放っておくと心配なんだもん」
「ちゃんと全部やったよ!」
「ほんと?」
「ほんと!」
ユリシアは数秒。
じーっと和先生を見る。
そして。
「ならよしっ♡」
満足そうに頷いた。
「まったく……」
和先生は苦笑する。
その光景を。
後ろから五人が見ていた。
最初に吹き出したのは綾香だった。
「あはっ……」
続いて柚羽。
茉里絵。
雫。
そして。
渚先生も。
「ふふっ……」
自然に笑った。
以前なら。
ほんの少しだけ。
胸の奥がざわついたかもしれない。
ユリシアと和先生の間にある。
長い年月。
家族そのもののような絆。
でも今は。
不思議なくらい。
穏やかだった。
それは。
自分とは比べるものではない。
ユリシアには。
ユリシアの場所がある。
そして。
自分にも。
自分の場所がある。
「渚先生」
和先生が声をかける。
「はい?」
「二日間、本当にありがとうございました」
いつもの。
穏やかな笑顔。
「大変だったでしょう?」
「…………」
昨夜。
自分が五人に何を喋ったのか。
一瞬で思い出した。
優しいところ。
安心すること。
腹が立つこと。
何でもない顔で。
ずるいことを言う人だということ。
「渚先生?」
ユリシアがにやにやしている。
「…………」
渚先生は一瞬だけ。
五人を見る。
全員。
にやにや。
「……皆さん」
低い声。
「はい?」
五人。
きれいに揃った返事。
「昨夜のことは」
一拍。
「絶対に和先生へ言わないでくださいね?」
「はーい♡」
「その返事が一番信用できません!!」
夕暮れの住宅街に。
六人の笑い声が響いた。
和先生だけが。
「……何の話?」
と。
最後まで首を傾げていた。
一泊二日。
六人だけの。
初めての小旅行。
海で笑って。
騒いで。
少しだけ悩んで。
少しだけ素直になって。
それぞれが。
昨日までとはほんの少し違う自分を見つけた。
そして。
六人の距離も。
ほんの少しだけ。
近くなった。
夏は。
もうすぐ終わる。
けれど。
きっと。
この二日間のことは。
ずっと忘れない。
――おしまい。


