第6話 今夜だけは、先生じゃなくて

女子六人、一泊二日第3学年

「あるよ♡」

「皆さん!?」

五対一。

渚先生が完全に包囲された。

「ち、違います! これはお風呂上がりだからで――」

「さっきお風呂出てから結構経ってるけど?」

綾香。

「うっ……」

「もしかして先生、お酒弱いんですか?」

柚羽。

「弱くありません!」

即答だった。

「じゃあもう一杯飲める?」

ユリシア。

「どうしてそうなるんですか!」

部屋に笑い声が響く。

渚先生は赤い顔のまま、小さな杯をお盆へ置いた。

「もう飲みません!」

「えー」

「『えー』じゃありません!」

きっぱり宣言したものの。

五人の顔を見ると。

嫌な予感しかしない。

「…………」

ユリシア。

にこにこ。

茉里絵。

にこにこ。

柚羽。

きらきら。

綾香。

にやにや。

雫。

じーっ。

「……何ですか」

誰も答えない。

「何なんですか、その顔は!」

最初に口を開いたのは、やはりユリシアだった。

「ねえ、渚先生♡」

「嫌です」

五対一で渚先生を取り囲む尋問タイム

「まだ何も聞いてないよぉ!」

「聞かなくても分かります!」

「じゃあ話が早いね♡」

「早くありません!」

そして。

ユリシアは満面の笑顔で尋ねた。

「おにいたんの、どこが好きなの?」

「ぶっ――!」

渚先生がむせた。

「ユリシアさん!」

「だって気になるんだもん!」

「だからって、いきなり何を――!」

「わたくしも少々興味がありますわ」

「茉里絵さん!?」

「だって渚先生、普段はそういったお話をまったくなさいませんもの」

「する必要がありませんから!」

雫が腕を組む。

「まあ、今日は旅行だし」

「だから何ですか!」

「恋バナくらいいいんじゃない?」

「よくありません!」

「先生」

柚羽が遠慮がちに手を上げた。

「はい?」

「私も……ちょっと聞きたいです」

「柚羽さんまで!?」

「す、すみません!」

そう言いながら。

目はものすごく期待している。

綾香は壁にもたれながら肩をすくめた。

「もう諦めたら?」

「綾香さん!?」

「五対一よ」

「人数で押し切ろうとしないでください!」

また笑い声が起こった。

結局。

カードゲームはいつの間にか中断されていた。

六人は布団の上に円を作って座っている。

その中央には。

さっきまで渚先生が飲んでいた小さな杯。

ただし。

もう中身はない。

「それで?」

雫が尋ねる。

「何がですか」

「和先生のどこが好きなんですか?」

「どうして続いてるんですか、この話!」

「ユリシアが聞いたから」

「責任転嫁しない!」

「渚先生」

茉里絵が微笑む。

「観念なさった方が楽ですわよ」

「なぜ生徒にそんなことを言われなければならないんですか……」

渚先生は両手で顔を覆った。

頬が熱い。

ほんの少し口にした日本酒のせいなのか。

それとも。

五人に囲まれているせいなのか。

自分でも、もうよく分からない。

「…………」

しばらくして。

指の隙間から、五人を見る。

待っている。

全員。

ものすごく待っている。

「……笑いませんか?」

「笑わないよ♡」

「ユリシアさんは一番信用できません」

「ひどーい!」

それでも。

渚先生は小さく息を吐いた。

「……優しいところです」

一瞬。

部屋が静かになった。

「和先生は……とても優しい方です」

いつもの教師としての口調。

けれど。

声だけが、少し柔らかい。

「何というのでしょう。こちらが言葉にしなくても、気づいてくださることがあって」

「へぇー♡」

「ユリシアさん。その顔やめてください」

「何もしてないよぉ?」

「しています!」

柚羽が尋ねる。

「一緒にいると、安心するんですか?」

「…………」

その質問には。

渚先生はすぐに答えなかった。

少し考えて。

「はい」

小さく頷く。

「安心します」

そして。

「……でも、それだけではないですね」

「?」

「たまにものすごく腹が立ちます」

五人が固まった。

「え?」

「腹が立つんですか?」

「立ちます!」

急に声が大きくなった。

「あの人、自分のことになると本当に鈍いんです!」

「おお……」

綾香が目を丸くする。

「人のことにはよく気づくのに、自分がどんなことを言ったか全然分かっていなくて!」

「…………」

「こっちが何日も思い出してしまうようなことを、本人は何でもないみたいに言うんですよ!?」

「…………」

「『無理しなくていいですよ』とか!」

「…………」

「『渚がいてくれて助かったよ』とか!」

「…………」

「それに……『渚先生、こんなに優雅な動きができるなんて』とか!」

「…………」

「そんなこと普通の顔で言われたら……!」

そこで。

渚先生の口が止まった。

五人がこちらを見ている。

「…………」

「…………」

「…………」

しまった。

渚先生の顔がさらに赤くなる。

「わ、忘れてください!」

「無理」

雫が即答した。

「無理ですわね」

茉里絵。

「無理です」

綾香。

「無理ですっ」

柚羽。

そして。

ユリシアは両頬を押さえていた。

「渚先生かわいいぃぃ♡」

「やめてください!!」

ところが。

ここからが、本当の始まりだった。

「いつから好きなんですか?」

綾香。

「それは……」

「和先生から告白したんですの?」

茉里絵。

「えっ、いや、その……」

「先生から?」

柚羽。

「ち、違います!」

「じゃあどっちでもないの?」

雫。

「それは……!」

「おにいたんと手つないだことある?」

ユリシア。

「ユリシアさん!!」

渚先生の悲鳴が響いた。

「一人ずつ! 一人ずつ聞いてください!」

「答えるんだ」

綾香がぼそっと呟く。

「……!」

渚先生が固まる。

「今のなしです!」

「もう遅いわよ」

雫が笑う。

完全に。

生徒たちのペースだった。

普段なら。

ここまで聞かれた時点で話を終わらせていた。

教師として。

大人として。

線を引いていたはずだった。

でも。

今日一日。

海で笑って。

一緒に食事をして。

ビーチボールを遥か彼方へ吹き飛ばして。

旅館で浴衣を着て。

カードゲームまでして。

そして今。

目の前にいる五人は。

教師を困らせて面白がっている生徒というより。

年の離れた妹たちのように見えた。

だから。

ほんの少しだけ。

気が緩んだ。

「……将来の話は、しています」

ぴたり。

五人の動きが止まった。

渚先生自身も。

言ってから固まった。

「…………」

「…………」

「…………」

数秒。

誰も声を出さなかった。

そして。

「――ちょっと待って」

最初に口を開いたのは雫だった。

「はい?」

「今、さらっとものすごいこと言わなかった?」

「えっ」

「『将来の話』って何よ!」

雫が身を乗り出す。

「それって、これからも一緒にいるって意味!?」

「し、雫さん!」

その隣では。

茉里絵が珍しく目を丸くしていた。

「まあ……」

「茉里絵さん?」

「やはり……そうでしたのね」

「何がですか!?」

茉里絵は雫を見る。

雫も茉里絵を見る。

二人の間に。

一瞬だけ。

『やっぱり』

という無言の意思疎通が成立した。

「ちょっと!」

渚先生が慌てる。

「何ですか今の目配せは!」

「だって」

雫が渚先生を見る。

「前から怪しいと思ってたのよ」

「怪しい!?」

「わたくしたち、以前から少々お話ししておりましたの」

茉里絵も涼しい顔で続ける。

「渚先生と和先生は、どうも普通の同僚という距離ではないのではないか、と」

「なっ……!」

渚先生の顔が一気に赤くなった。

「そんなこと話していたんですか!?」

「ええ」

「話してたわ」

二人同時だった。

「初耳なんだけど」

綾香が呟く。

「私もですっ!」

柚羽まで身を乗り出す。

「雫先輩たち、そんな前から気づいてたんですか?」

「気づいてたっていうか」

雫は腕を組む。

「怪しすぎたのよ」

「怪しすぎるって何ですか!」

「でも」

茉里絵が口元へ手を添える。

「まさか、すでに将来のお話までなさっていたとは思いませんでしたわ」

「それよ!」

雫が再び食いつく。

「どこまで話してるの!?」

「ど、どこまでって……!」

「結婚?」

綾香。

「綾香さん!」

「一緒に暮らすとかですか?」

柚羽。

「柚羽さんまで!?」

一気に四方から質問が飛んでくる。

「皆さん、待ってください! 一度に聞かないで――!」

そんな中。

ユリシアだけは。

しばらく何も言わなかった。

「…………」

渚先生が、ちらりと見る。

意外だった。

もっと大きく反応すると思っていたから。

やがて。

ユリシアは、にこっと笑った。

「そっかぁ」

「……ユリシアさん?」

「うん」

それだけだった。

そして。

「でも」

人差し指を立てた。

「ユリシアはユリシアだからね♡」

「……はい?」

「おにいたんとユリシアの絆は、誰にも負けないもん」

「…………」

渚先生はユリシアを見る。

その表情に。

以前のような焦りはなかった。

勝ち負けを急いでいる顔でもない。

ただ。

絶対に揺らがないものを知っている子の顔だった。

「だから」

ユリシアは胸を張る。

「最後におにいたんのお嫁さんになればいいんだもん♡」

「結局そこなの!?」

雫が叫んだ。

「あはははっ!」

綾香が吹き出す。

茉里絵も口元を押さえる。

柚羽まで笑っている。

そして。

渚先生は。

「…………」

数秒固まってから。

「ユ、ユリシアさん!」

とうとう慌て始めた。

「それとこれとは話が別でしょう!?」

「別じゃないよぉ♡」

「別です!」

「じゃあ渚先生もがんばろー♡」

「何をですか!!」

五人の笑い声が部屋いっぱいに広がった。

「もう……」

しばらくして。

渚先生は完全に疲れ切った顔をしていた。

「皆さん、容赦なさすぎます……」

「でも」

柚羽が微笑む。

「ちょっと安心しました」

「何がですか?」

「渚先生も、普通に恋するんだなって」

「…………」

「先生って、いつもすごくしっかりしてるから」

柚羽は少し照れながら笑った。

「こういうことで慌てたりするんだなって」

「私だって人間ですよ」

渚先生は苦笑した。

そして。

少しだけ間を置いて。

「好きな人の前では……私だって、ただの一人の女性です」

「好きな人の前では、私だってただの一人の女性です」

そこで言葉を止める。

頬が。

また少し赤くなった。

「……格好よくなんて、いられません」

「…………」

五人の表情が。

一斉に柔らかくなった。

「だから」

渚先生は慌てて付け加える。

「今のも忘れてください!」

「だから無理だって」

雫。

「永久保存ですわ♡」

茉里絵。

「心に保存しました」

綾香。

「私もですっ」

柚羽。

最後に。

ユリシア。

「おにいたんにも教えてあげよーっと♡」

「それだけは絶対にやめてください!!」

「きゃーっ!」

また。

大騒ぎになった。

今夜だけは。

先生ではなく。

少し年上の一人の女性として。

渚先生も。

その輪の中にいた。

どれくらい騒いだだろう。

やがて。

一人。

また一人。

布団へ横になっていった。

「もう無理ぃ……」

ユリシアが枕へ顔を埋める。

「さっきまであんなに元気だったじゃない」

雫もあくびをしている。

「もう十二時近いですよ」

渚先生が時計を見る。

「皆さん、そろそろ本当に寝てください」

「はーい……」

今度ばかりは。

返事だけではなかった。

ほどなく。

部屋は静かになった。

柚羽の穏やかな寝息。

茉里絵の布団。

雫と綾香。

そして。

ユリシア。

渚先生は一人、まだ起きていた。

窓の向こうから。

波の音が聞こえる。

「…………」

今日。

ずいぶん余計なことまで喋ってしまった。

明日の朝。

何を言われるのだろう。

考えるだけで恥ずかしい。

でも。

不思議と。

嫌ではなかった。

昔の自分なら。

和先生を好きだという気持ちを。

誰かに知られるだけでも怖かった。

それが今は。

「将来の話は、しています」

と。

自分の口から言えた。

それはきっと。

あの人と。

ちゃんと気持ちを確かめ合えたからだ。

焦らなくていい。

誰かと比べなくていい。

自分には。

自分の場所がある。

「……ふふっ」

渚先生は小さく笑った。

そして。

眠っている五人を見る。

「本当に……すごい子たちですね」

何ものも恐れず。

一直線。

思ったことを聞いて。

笑って。

飛び込んでくる。

自分にはない強さだ。

少し。

羨ましいくらいに。

渚先生も布団へ入った。

「おやすみなさい」

誰にも聞こえない声で。

そう呟いた。

翌朝。

「渚先生♡」

「…………」

目を覚ました瞬間。

枕元に。

ユリシアがいた。

満面の笑顔で。

「おはよー♡」

「…………おはようございます」

嫌な予感がした。

ものすごく嫌な予感がした。

「昨日のこと、ぜーんぶ覚えてる?」

「…………」

渚先生は。

布団を頭まで被った。

「忘れてくださいぃぃ……!」

「覚えてるんだ!」

「ユリシアさん!!」

部屋に笑い声が響いた。

雫も。

茉里絵も。

柚羽も。

綾香も。

もう起きている。

「おはようございます、渚先生」

茉里絵が優雅に微笑む。

「昨夜は大変興味深いお話をありがとうございました」

「茉里絵さん!」

「永久保存でしたっけ?」

綾香が笑う。

「違います!」

柚羽もくすくす笑っていた。

「先生、顔また赤くなってますよ?」

「もう皆さん嫌いです!」

「ええーっ!」

五人が声を揃える。

渚先生も。

とうとう笑ってしまった。

二日目の海は。

昨日より少しだけ穏やかだった。

六人で波打ち際を歩き。

貝殻を拾い。

最後にもう一度だけ海へ入った。

「渚先生!」

ユリシアが手を振る。

「今日は先生もちゃんと遊ぼ!」

「昨日も十分遊んだでしょう!」

「ビーチボール飛ばしただけじゃん!」

「それを言わないでください!」

それでも。

渚先生は笑いながら海へ入った。

今日は。

五人を少し離れた場所から見守るだけではなく。

同じ波の中に立った。

「先生、こっちです!」

柚羽。

「渚先生、早く!」

綾香。

「ほら、来たわよ!」

雫。

「先生もこちらへ!」

茉里絵。

「渚せんせー!」

ユリシア。

五人の声が重なる。

「はいはい。今行きます!」

渚先生も。

少しだけ大きな声で返した。

楽しかった時間は。

驚くほど早く過ぎていった。

昼過ぎ。

六人は宿を出た。

荷物を車へ積み込み。

渚先生が運転席へ座る。

「忘れ物ありませんね?」

「はーい!」

「本当に?」

「はーい!」

「柚羽さん?」

「だ、大丈夫です!」

「ヘアゴムは?」

「ありますっ!」

全員が笑う。

車が走り出した。

しばらくすると。

後部座席から声がしなくなった。

信号待ちで。

渚先生がバックミラーを見る。

ユリシア。

雫。

茉里絵。

綾香。

柚羽。

五人とも。

ぐっすり眠っていた。

「…………」

渚先生は微笑む。

「お疲れさまでした」

車は。

夏の海を後にした。

夕方。

ユリシアが家へ戻る頃。

玄関の前には。

和先生が待っていた。

「おかえり、ユリ」

「おにいたーん!」

ユリシアの表情が一瞬で輝いた。

「ただいまーっ♡」

荷物を置くより先に。

和先生の前へ走っていく。

「旅行、楽しかったかい?」

「うん! すっごく楽しかった!」

「それはよかった」

「それより!」

「ん?」

ユリシアの顔が急に真剣になった。

「おにいたん」

「な、何だい?」

「ちゃんとご飯食べた?」

「食べたよ」

「歯磨いた?」

「磨いたよ」

「お風呂入った?」

「入ったよ」

「ちゃんと下着も取り替えた?」

「ユリ!」

後ろで。

五人が固まった。

「…………」

「…………」

「…………」

和先生の顔が赤くなる。

「帰ってきて最初に聞くことがそれかい!?」

「だって大事なことだもん!」

「私は子どもじゃないんだけど……」

「でもおにいたん、放っておくと心配なんだもん」

「ちゃんと全部やったよ!」

「ほんと?」

「ほんと!」

ユリシアは数秒。

じーっと和先生を見る。

そして。

「ならよしっ♡」

満足そうに頷いた。

「まったく……」

和先生は苦笑する。

その光景を。

後ろから五人が見ていた。

最初に吹き出したのは綾香だった。

「あはっ……」

続いて柚羽。

茉里絵。

雫。

そして。

渚先生も。

「ふふっ……」

自然に笑った。

玄関先、和先生とユリシアの再会を見守る渚先生たち

以前なら。

ほんの少しだけ。

胸の奥がざわついたかもしれない。

ユリシアと和先生の間にある。

長い年月。

家族そのもののような絆。

でも今は。

不思議なくらい。

穏やかだった。

それは。

自分とは比べるものではない。

ユリシアには。

ユリシアの場所がある。

そして。

自分にも。

自分の場所がある。

「渚先生」

和先生が声をかける。

「はい?」

「二日間、本当にありがとうございました」

いつもの。

穏やかな笑顔。

「大変だったでしょう?」

「…………」

昨夜。

自分が五人に何を喋ったのか。

一瞬で思い出した。

優しいところ。

安心すること。

腹が立つこと。

何でもない顔で。

ずるいことを言う人だということ。

「渚先生?」

ユリシアがにやにやしている。

「…………」

渚先生は一瞬だけ。

五人を見る。

全員。

にやにや。

「……皆さん」

低い声。

「はい?」

五人。

きれいに揃った返事。

「昨夜のことは」

一拍。

「絶対に和先生へ言わないでくださいね?」

「はーい♡」

「その返事が一番信用できません!!」

夕暮れの住宅街に。

六人の笑い声が響いた。

和先生だけが。

「……何の話?」

と。

最後まで首を傾げていた。

一泊二日。

六人だけの。

初めての小旅行。

海で笑って。

騒いで。

少しだけ悩んで。

少しだけ素直になって。

それぞれが。

昨日までとはほんの少し違う自分を見つけた。

そして。

六人の距離も。

ほんの少しだけ。

近くなった。

夏は。

もうすぐ終わる。

けれど。

きっと。

この二日間のことは。

ずっと忘れない。

――おしまい。